【視点】海外出展で業界を変えた「播州刃物」 | RBB TODAY

【視点】海外出展で業界を変えた「播州刃物」

ビジネス 経営

播州刃物は「パリ・デザインウィーク」や「アンビエンテ」など、海外の展示会でも高い評価を受けている
  • 播州刃物は「パリ・デザインウィーク」や「アンビエンテ」など、海外の展示会でも高い評価を受けている
  • 13年に兵庫県の県南部に位置する三木市で、「播州刃物」というブランドは生まれた
  • ブランド立ち上げとともに、小林新也氏はまず製品のビジュアルを一新した
  • 桐箱に納められた商品は現在、国内外の小売店やオンラインショップで販売されている
  • 三木市の工房では大手メーカーの下請けとして、主に鋏や鎌の製造を手掛けている
  • 長年の問題となっていた後継者不足についても、ようやく進展が見えてきた
 上質な桐の箱に納められた、布地を裁断する洋裁鋏が国内直販で1本1万8000円。海外への販路拡大をブランディングに結び付け、長年の課題だった利益率向上を実現。国内外でのビジネスを拡大させた刃物産地がある。兵庫県の県南部に位置する三木市。13年にブランド「播州刃物」を設立し、業界内でその知名度を高めている。

 仕掛け人の合同会社シーラカンス食堂 小林新也氏によると、この地はかつて地域問屋を介して刃物メーカーへと製品を卸す、典型的な下請け産業地帯だったという。しかし、価格競争が進む中で、製品の単価は落ちていく。そのため、仕事はあっても売上が伸びない、後継者を育てる余裕もないという悪循環に陥っていた。

■産地ブランドで商品バリューを高める

 地域問屋からの相談を受けて、小林氏がまず行ったのが、新たなブランドイメージの構築だ。それまで、完全に裏手に回っていた産地を、「播州刃物」というネーミングでアピールする。製品はそのままに、パッケージや営業資料などのビジュアルを一新。これまで業者の言い値だった取引にも、きちんとした価格表を設けた。

 その上で提案したのが、海外の展示会への出展だった。かつて小林氏はミラノサローネに出展したこともあり、海外で認められることの意義を良く知っていた。とはいえ、組合の反応は、「一体何の意味があるの?」や「そんな金はどこにもない」といった意見ばかり。その中でも何とか組合理事長を説得したことで、まずは国内で行われる国際見本市の「インテリア ライフスタイル」への出展が決まる。

 こうして、新製品がひとつもない、見せ方だけを一新した「播州刃物」のブースが出展される。刃物メーカーのブースが立ち並ぶ中、産地ブランドを掲げたことへの反響は大きかった。「デルフォニック」などの大手バイヤーが商品に関心を持ち、雑誌『家庭画報』にも取り上げられる。

 さらに、海外進出についても、小林氏の狙いどおりの展開があった。展示会を訪れていたディストリビューターから、パリ・デザインウィークに共同出展しないかとの誘いを持ちかけられる。出展費用についても会場で国の海外進出支援事業の担当者から声をかけられ、無事に採択されると渡航費用などを賄えた。


 ブランド立ち上げから約半年、播州刃物はパリへの上陸を果たす。しかし、同時にそれは小林氏一人に任せられた、ブランド事業の限界を感じさせる時期でもあった。急な海外出展に輸出用の価格設定などが間に合わず、その後の対応についても見切り発車の部分は大きかった。

 また、デザインウィーク後も、ディストリビューターを通じて商品を度々卸すことはできたが、ビジネスとして成立するような安定した受注には程遠い。パリで孤軍奮闘する中、小林氏を後押ししたのが経済産業省が主催する海外進出支援事業「MORE THANプロジェクト」だった。

■海外ニーズを肌で取り入れる重要さ

 実はMORE THANプロジェクトは、パリ・デザインウィークへの出展にあたり、播州刃物が利用した海外進出支援事業の後進にあたるもの。以前は展示会出展の費用や渡航費に適用されていた支援が、プロジェクトを管理するマネージャーの活動に充てられるようになったのが大きな特徴だ。

 これによって以前は実現できなかった、海外マーケットの調査に費用が降りた。そこで小林氏は奇跡的な体験をする。一つはアメリカを代表するギフトショー、ニューヨーク ナウに向かう飛行機で、偶然に中小機構の担当者と隣り合わせたこと。これによって、小林氏は会場のみならず、アメリカにおける様々なネットワークを紹介してもらうことができた。

 さらに、ニューヨークで活動するトップパタンナー集団のひとつ、大丸製作所2を訪れれば、多忙のため滅多に在勤していないという、代表の大丸氏に会うことができた。アメリカにおける職人のニーズを聞くなかで、彼らが抱えていた課題は大きくふたつ。一つは、鋏の砥ぎをできる職人が現地に誰もいないこと。そして、もうひとつが現地の作業環境の変化だ。

「アトリエでは机の上に布を置くのではなく、トルソーに当てて立体的に裁断することがあると、その時初めて知ったんです。こうしたシーンを日本の裁ち鋏は全く想定していなかった。でも、モノづくりって本来はそういうものじゃないですか。使い手の要望が耳に入って、そこで新しい商品が生まれる。でも、いつの間にか生産者主体のモノづくりになっていて、展示会に出して、バイヤーに頭を下げてどうですかと。そういうインダストリアルデザインの大量生産物の流れに、日本の手工業が飲み込まれていたんです」

 こういう要望を現場に伝える仕組みが必要になる。それができるのは自分しかない。そう考えた小林氏は、以降販路を開拓しながら、現地のマーケティングを積極的に行っていく。また、砥ぎの問題についても、プロジェクトを利用して、各地の展示会でワークショップを実施。草の根的ではあるが、こうした活動を今後も続けていく計画だ。


■展示会での販路開拓、やるべきことは?

 プロジェクトの支援を受けて、播州刃物は徐々に世界中へと広まっていく。世界各地で開催される展示会へと出展。特に、ドイツで行われたアンビエンテでは、相当数の契約を結べたという。そこには、かつてパリ・デザインウィークで失敗した経験が生きた。

 MORE THANプロジェクトでは、採択事業者によるミーティングが度々行われる。海外に販路を切り開いてきた先輩たちとの集いは、小林氏にとってアドバイスをもらう貴重な機会となった。英語の使い方、宅配便の業者選び、準備しておくべき資料など。ちょっとしたことが、どれも展示会を切り盛りする上で大いに参考になった。

「特に大事だったのがメールの返信でした。アンビエンテにはショップのオーナーが自ら訪れ、後の数ヶ月間にわたる在庫を一気に仕入れる。で、残りの滞在日程はバカンスに使ってしまうんです。だから、展示会が終わったら、休暇モードに入る前に、急いでメールを送って商談をまとめる必要があった。そういうことって、知らないのとでは全然違いますよね」

 播州刃物をブランド化して2年、商品は1000万円を超える売り上げを記録した。その人気は、ブランドを銘打った商品に限らない。産地で作った既存の刃物が、国内外で以前よりも明らかに売れているという。

 こうした流れは、刃物職人や地域問屋の意識を大きく変えた。15年に職人は卸組合に値上げ交渉を実施。組合はそれを認め、10月から握り鋏と裁ち鋏については、新価格での販売が開始された。さらに、後継者不在だった工房にも、何十年ぶりとなる弟子を迎えたところが現れたという。

 海外進出、価格改定、後継者問題。これらすべてに、わずか3年足らずで成果を出した播州刃物。地域の伝統的な手工業がクールジャパンのニーズに乗り、その人気が日本のマーケットに逆輸入されるという成功体験は、日本のモノづくりを救う大きなヒントになるだろう。そのためには、国内における海外進出支援の制度を賢く使うこと。さらに、国内外へとブランドを展開させるだけの、プロデュース能力を持った人材が欠かせない。

【海外進出を支援する:3】海外出展で業界を変えた「播州刃物」

《丸田鉄平/H14》

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