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【視点】世界一薄い!福島発のシルクで生み出す新たなビジネス

エンタープライズ その他
齋栄織物3代目の齋藤栄太氏
  • 齋栄織物3代目の齋藤栄太氏
  • 桂由美氏がデザインした、重さ600グラムのドレス
  • フェアリー・フェザーを使ったスカーフ
  • フェアリー・フェザーを使ったスカーフ
 純白な光沢により、かつて東洋一と称された“川俣シルク”。その生産地から2012年、世界一薄く、そして軽いシルク「フェアリー・フェザー」が誕生した。生みの親は福島県伊達郡川俣町に本社工場を持つ齋栄織物。同年には日本ものづくり大賞の内閣総理大臣賞を受賞している。

 しかし、川俣町では今、安価な輸入品の台頭などによって、絹織物産業が衰退しつつあるという。かつては400社を数えた絹織物業者も、その数はおよそ1/10まで減少。薄手の仕上げを特徴とする川俣シルクが主力としていたスカーフも、その生産量は年々減少している。

 このままでは川俣シルクの未来はない。そう危機感を覚えた齋栄織物3代目の齋藤栄太氏が中心となり、世界一薄く、そして軽いシルクへの挑戦は始まった。

■独自の先染織物でブライダル市場を開拓

 齋栄織物の操業は1852年。かつては横浜シルクの名前で貿易商を営んでいたという。その頃は”横浜スカーフ”が世界に名だたるブランドとなっており、川俣町で作られたシルクの大半が、スカーフに姿を変えて海外へと輸出されていた。

 ただ、昭和初期まで国内で生産された生糸の多くは海外に輸出され、外貨を稼ぐために利用されていたという。そのため、生糸には高い値が付き、京都や丹後、福井といった大規模な絹織物の産地でしか入手が困難になっていく。川俣町についても規模がさほど大きくないため、生糸の仕入れられる量には限りがあった。そこで生み出されたのが、薄手の織物を作る技術だったという。


 齋栄織物でも当初はスカーフ用に生地を生産していたようだ。しかし、ファッションがデニムを中心としたカジュアル志向に推移する中で、スカーフの売り上げは年々減少。そこで齋栄織物では、新たに先染織物の生産に着手することになる。先染織物とは文字通りに生糸をあらかじめ色染めしてから織り上げたもので、タテ糸とヨコ糸の色を違えることで無数の色合いが生まれた。

 さらに、先染織物の生地は玉虫色の光沢を放つとともに、独特のハリ感を産み出す。この特徴に注目したのが、ウェディングドレスを手掛けるデザイナー達だった。彼らのドレスに先染織物が利用されることで、齋栄織物はその売り上げを大きく伸ばすことに成功する。その後、先染織物はタキシードやカクテルドレスなどにも用いられ、アメリカ市場に新たな販路も切り開いた。2005年頃までには、ブライダル市場が好調だったこともあり、社の売り上げの半分を占めるほどに成長していったという。

■世界一細い繭糸を求めて

 2008年のリーマンショックは齋栄織物に大きな打撃を与えた。当時はウォン安だったこともあり、アメリカのブライダル市場は、相次いで日本の繊維企業との取引を撤退。韓国やインドなどの安価な生地を扱うようになり、齋栄織物もそのほぼ全ての取引相手を失う。

 危機感を募らせていた齋藤氏は、その頃に一人の客から、こんなことを聞かれたという。「他にもシルクのメーカーは数あるが、御社は他と何が違うのか」と。もちろん、川俣シルクが得意とする薄手織物で、先染め織物という独自性のある製品を作ってはいた。しかし、それは必ずしも齋栄織物だけの個性ではない。今の会社には売りになる“何か”が足りないのではないだろうか?

 「だったら川俣は薄手のシルク産地なのだから、そこにもっと特化した商品があってもいいんじゃないかと。それで、世界一薄くて、軽い先染めシルクを作ってやろうと考えたんです」


 さっそく会社に戻って話をしてみると、当初はそんなものが本当にできるのかと、社員からの反応は微妙なものだったという。しかし、当時一番の年長者だったベテラン職員が、「織り機にかけるまでの準備ができれば、私が織るよ」と話を切り出す。それで、齋藤氏の腹は決まった。

 世界一薄い絹織物を作るには、世界一細い生糸が必要になる。当時市場に流通していた糸のうち、最も細いものは16デニール。ならば、新しい織物につかう生糸は、その半分の細さで行こうと、齋藤氏は生糸を特注できる業者を探し始めた。

 ちょうどその頃に、齋藤氏はある噂を耳にする。医療用の繭糸を手掛けるある県内のメーカーが、手術の縫合用に今までにない細さの糸を開発したと。さっそく話を聞きに行くと、それは「三眠蚕(さんみんさん)」と呼ばれるもので、1日における睡眠数を4回から3回に減らすことで、未成熟な蚕を産み出す技術だという。こうして体が発達しないまま成長した蚕は、通常よりも細い糸を吐いた。

 だが、結局いくつかの要件が満たせなかったため、開発された繭糸は採用が見送られていた。ならばそれを引き取らせてくれと、すぐに齋藤氏は話を持ちかけたという。こうして人間の髪の毛の約1/6の細さという、世界一細い繭糸を手に入れることに成功した。

「しかし、その後もこの繭糸を巡っては、いくつもの問題が発生しました。そのため、織り機にかけるまでの準備だけで、かなりの開発期間が必要だったんです」

 例えば、三眠蚕は強度が無いため、そのままでは会社の織り機で扱えない。結局、強度を上げるために撚糸を行うことになるが、これは地元の東北撚糸に頼み込んで、難しい作業を何とか引き受けてもらったという。さらに、先染めの工程でも、従来のように染料の温度を上げると繭糸が溶けてしまい、色染めの職人を苦悩させた。


■東日本大震災、そして……

 こうして、世界一細い先染めの繭糸を手にした齋栄織物。だが、その細さは当初の予想以上に、現場のベテラン職人をてこずらせた。撚糸によって糸の強度は確かに増している。だが、そのまま織り機にかけただけでは、何度試しても織る端から糸が切れていった。

 そんな彼らはこの後、かつてない苦難に襲われることになる。11年3月、東日本大震災発生。停電の影響でブレーカーが壊れ、建物自体にも大きなダメージが入った。

 「重さ2トンある一番大きな織り機が動いて壊れるぐらいの、大きな揺れでしたから。結局は建屋を全て改修することになりました。ただ、織り機のほとんどはボルトで固定されていたので、無事だったのが幸いでしたね。社員もすぐに駆けつけてくれたので、震災の1週間後には全ての機械を稼働させられたんです」

 この年、齋栄織物は納品を1件も遅らせることなく、受注していた全てのオーダーに対応した。さらに、三眠蚕を用いた織物の開発にも、ようやく目処がたってくる。

 糸切れが起きる原因として考えられるのは、糸にかけるテンションと、糸を織りあげるときに発生する摩擦。このうちテンション管理については、機械を調整することで何とか解決できた。しかし、織りの工程では糸を上下させる必要があるため、どうしても摩擦が発生してしまう。

 「ならば、その動く幅を狭めればいいだろうと。糸が交差するギリギリのところを、クリップのように抑えるよう、機械を改良しました。これでようやく糸を切らすことなく、生地を織り上げることに成功したんです」

 2011年9月、ついに世界一薄く、軽い先染めシルクが完成する。今までにない透け方と、薄さならではの質感。それを見た齋藤氏は、生地に「フェアリー・フェザー(妖精の羽)」と名を付けた。


■世界一薄いシルクで世界の注目を集める

 完成したフェアリー・フェザーを手に、齋藤氏が向かったのはブライダルファッションデザイナーの桂由美氏の元だった。同氏と齋栄織物の関係は深く、以前から様々な生地を提供していたという。

 「これからの花嫁衣裳は、式場でダンスを踊れるぐらい軽くないといけないよねと。桂さんには、以前からお話を伺っていたんです。だったら、フェアリー・フェザーがふさわしいだろうと、真っ先に頭に浮かびました」

 持ち込んだ生地を見て、桂氏はすぐに次のコレクションで使いたいと、その場で齋藤氏に話したという。こうして、フェアリー・フェザーはウェディングドレスとなり、12年2月に初めて世間に公表された。その反響はすさまじいものだったと、齋藤氏は当時を振り返っている。

 「ブライダルだけでなく、ベッドの天蓋に使いたいとか、時計の文字盤に飾りたいなど、様々なお話を頂きました。こんなことは初めての経験でしたね」

 同月には欧州の展示会に生地を持ち込み、そこでも30社近いメーカーからのオファーを受けることになる。その中でフェアリー・フェザーに関わらず、齋栄織物のシルクは世界に名だたるブランドに受け入れられていった。ジョルジオ・アルマーニ、ルイヴィトン、シャネル……。その取引は今でも続いているという。


■航空業界も注目するフェアリー・フェザーの特性

 齋栄織物が他社にないモノづくりとして、長年携わっているものがある。それが工業資材としての絹織物だ。一番最初に取り組んだのはタイプライターのインクリボン。当時、競馬の勝ち馬投票券では、その印字にシルク製のインクリボンが使われていた。そこでもしリボンに傷がついていたら、数字が間違って見えてしまう。そのため、リボンにはきわめてシビアな品質が求められたという。

 その後も、同社ではスピーカーコーンや付け爪など、様々な工業資材の製造を手掛けてきた。近年では空気清浄器などで使われるフィルターを手掛けており、これが社の売り上げの3割から4割を占めているという。シルクは化学繊維と違って熱に強く、その軽さにもアドバンテージがある。そのため、例えば自動車のオイルフィルターなどに使われることもあるという。

 「こうした受注を得られた根底にあるのは、薄手織物で培った技術なんです。細い糸を使うには、それだけ織りの密度を高める必要がある。なので、工業資材が要求している強度にも、対応しやすかったんだと思います」

 こうした工業資材の生産は、アパレル向けの生地開発にも良い影響を与えてきたという。その一つが女性向けのワンピースなどに使われている「パラシュートクロス」の商品化だ。これは、同社が開発している気象衛星向けのパラシュート生地に、後加工や染色などを施したもの。ストーリー性を持つ素材として、発表当時は多くのブランドに注目されたという。


 一方で、フェアリー・フェザーは世界一薄いという特性から、逆に工業資材としても注目を集めることになる。例えば、徳島大学医学部からのオファーとしては、シャーレに敷く素材としてのオーダーがあったという。同医大ではフェアリー・フェザーを使うことで、再生医療に向けた細胞の培養に成功し、その成果が15年夏の学会で発表された。

 また、紫外線を吸収するシルクの特性についても、その強度が増す高高度を飛ぶ飛行機に向けた素材として注目されているようだ。実際にボーイング社では飛行機の外壁素材として、薄くて軽いフェアリー・フェザーが利用できないかと検討しているという。その他、水をろ過することで無菌状態を作る、人工血管などに応用するなど、フェアリー・フェザーの応用範囲は幅広い。

■フェアリー・フェザーで新たなビジネスを生み出す

 12年9月、齋栄織物ではコーポレートブランド「SAIEI SILK」を立ち上げた。目的は自社ブランドとしてスカーフを商品化し、新たにB to Cへと打って出ること。13年2月には日本橋三越のストール売り場をすべて川俣シルクで独占し、予定量の3倍の売り上げを記録した。

 その後もSAIEI SILKのスカーフについては、ルミネが受付スタッフの制服として採用。15年11月からはポーラ化粧品のノベルティとして利用されている。

 「モノづくり日本大賞を受賞したあたりから、社内のモチベーションは大きく上がりました。ある社員は『お母さんの子供で良かった』と娘に言われ、それを誇りに思うようになったと言います」

 世界一薄く、そして軽いシルクの開発は、齋栄織物という会社の体質に大きなインパクトを与えた。その動きは今も続いている。

【地方発ヒット商品の裏側】海外アパレルも注目する世界一薄いシルク「フェアリー・フェザー」

《丸田鉄平/H14》
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