【視点】地域で重要な横堀り戦略…群言堂 松場大吉氏 | RBB TODAY

【視点】地域で重要な横堀り戦略…群言堂 松場大吉氏

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松場大吉氏(石見銀山生活文化研究所 代表取締役会長)
  • 松場大吉氏(石見銀山生活文化研究所 代表取締役会長)
  • 大田市大森町
  • 昔ながらの街道ぞいの集落
  • 「いまでも変人扱いですよ(笑)」
  • 石見銀山生活文化研究所あえて、さびたトタンの外装など景観を壊さない
  • 本店のようす
  • 本店のようす
  • 本店2階のコミュニケーションスペース。地域の集まりや各種イベントにも利用
 島根県大田市大森町といえば世界遺産となった石見銀山が有名だ。さぞかし観光地化が進んでいると思って訪れると、その予想は良い意味で裏切られる。ビジターセンターなどは整備されているものの、昔ながらの風情を多く残す閑静な集落のたたずまいに、だれもが懐かしさを感じるだろう。

 今回取材した「石見銀山生活文化研究所」は、大森町に拠点をおく会社だ。「群言堂」という自然素材にこだわったファッションブランドで知っている人もいるかもしれない。石見銀山生活文化研究所の設立は1998年となっているが、松場大吉氏(石見銀山生活文化研究所 代表取締役会長)がパッチワークや衣類、雑貨などの製造・販売をはじめたのは、1980年代までさかのぼることができる。名古屋で繊維・衣料品ビジネスを学んだ松場氏が、故郷である大森町で始めた事業である。

■名古屋の中堅メーカーで修行
 松場氏は、お菓子メーカー勤務を経て、小さい衣料品メーカーを立ち上げていた。取引先には、パッチワークや布製品で有名だった名古屋の中堅メーカーがあり、その会社ブランドの製品の多くを手がけていた。事業はうまくいっており、ビジネスやマネジメントに関する経験・知見を積み重ねていった。と同時に松場氏は、大量に生産される製品、そしてそれらが消費されるという現実に疑問も感じていたという。工場で大量にものを作っている反面、パッチワークが本来持つ手作りの意味、手作りならでは愛着も大事にしたいという想いも膨らんでいった。

 生家では長男であった松場氏は、いずれ実家に帰ることを考えており、1981年に故郷大森町に戻り、オリジナルパッチワークの事業を始めた。当時は法人化さえせず、個人経営で文字通り手作り製品を販売していた。主な販路は、露店、デパートのイベント、病院内でワゴン販売なども行っていたという。正直なところ、地方での事業、しかも地元の特産品や観光などとも直接関係のないパッチワークということで、この時代は苦労も多かったはずだ。

■法人化のきっかけは展示会出展のため
 転機は1988年に訪れる。東京晴海の業者向けの展示会に出店しないかという誘いが松場氏の元に舞い込む。しかし、出店登録の条件が法人であることだった。松場氏は、地元の知り合いに頼み、会社の名義を借りて東京デビューを果たす。展示会での反応は上々で、その手応えを感じ、翌年には自身も法人登録を行った。このとき作ったのが「BURAHOUSE」というブランドで、これが現在の群言堂のルーツとなっている。

 その後もギフトショーなど大きなイベントにも参加するようになり、着実にビジネスを拡大していった。そのときの松場氏の戦略はこうだ。まず、ファッションやアパレル業界の展示会にあえて、ブースは古民家風だったり、田舎の納屋にころがっているようなカゴや道具などで装飾する。いまでこそ、エコや癒しブームで一般化した手法だが、バブル期でもある80年代、90年代はむしろ珍しかった。製品もバブル期とはむしろ逆行する手作りの良さを大事にし、流行に流されない素朴な衣類や雑貨だ。これが目の肥えたバイヤーの注目を集めることになる。ブースに訪れるメーカー、問屋などから取引依頼が殺到したという。

■注文殺到も冷静な分析…急成長より持続可能
 ここでも松場氏は、独自の戦略で対応した。期間中に何百枚と名刺が集まったのだが、すべてに対してその場で返事をせず、商品を売ることもなかった。商談のための展示会なのに、商談に応じないということで主催者からも注意が入ったほどだという。松場氏は、持ち帰った名刺・取引先候補をひとつずつ吟味し、取引をする業者を数十社に絞り込んだ。

 これには、家族や社員などからも疑問の声が上がった。「せっかく買いたいといってきてくれるのだから売ればいいじゃないか」というもっともな声だ。しかし、名古屋時代のパッチワークメーカーの倒産や先人たちの商売を見てきた松場氏にとって、ビジネスで重要なのは持続可能なことだという。とくに、地元で行うビジネスは「暮らしの延長であるべき」というのが氏のビジネス哲学だ。

 いまここで急いで取引先を増やしても生産が追い付かない。品質が維持できない。となると、デザインやビジネスモデルも変えなければならないかもしれない。それで結局顧客が離れたら。など、自分の立ち位置と長期的なビジネスのことを考えて、取引先を同じ目の高さを持つパートナーとして考え、専門店のみ50店ほどに絞った。松場氏の客観的な分析能力と長期的なビジネスセンスには脱帽だが、本人は「一発勝負の勘が当たっただけ」と謙遜する。

■地元ではU・Iターンの若者が多く働く会社
 同社は現在、大森町の300坪の敷地を利用した本店の他、全国に展開する路面店、直営店が合わせて30店舗。そしてオンラインショップでの販売を行っている。数や規模よりも同じ価値観を共有できる地域・パートナーを厳選する方針は変わっていない。

 広い敷地の本店は、手入れの行き届いた中庭、カフェ、イベントスペースなども備えており、店舗としてだけでなく観光客や地域の人の憩いの場、コミュニケーションの場にもなっている。本店から200mほど離れた場所に石見銀山生活文化研究所の本社社屋がある。移設した古民家や周辺の景観に溶け込む建物で構成されている。従業員の平均年齢は35歳前後といったところで、東京、大阪を含むUターン、Iターンで大森町にきた20代の若者も少なくない。

 群言堂を成功させ地元にビジネスや人を呼んだことで、すっかり名士となった松場氏だが、本人は「戻ってきた当初は、銀山の町でパッチワークなど変人扱いでした。今もその評価は変わってないですよ」と笑う。石見銀山が世界遺産登録されるときは、地元の協議会、自治体などに呼ばれて意見を述べたりもしている。

■地方のビジネスで重要なのは「横掘り」
 じつは本人は、当初、「日本遺産ならともかく世界遺産となるとちょっと背伸びしすぎではないか」とどちらかというと反対だったそうだ。

 しかし、この議論は町を考え直すよい機会になったといい、地域として、世界遺産登録人気に乗じて、ピークにあわせた過度な開発・誘致をしなかったことがよかったと考えている。

 取材の最後に、地域でビジネスをするために大事なことは何か、という質問をした。

「都会の企業は分業が進んでおり、専門家、専門技術で会社をやっていけます。都会では仕事をすれば生活ができる、いわば縦掘りができる社会です。しかし、田舎では暮らしながら仕事をする必要があります。田舎で暮らすということは衣食住のかなりの部分を自分たちでこなさないと成立しません。地方ほど利他的な行動が重要になります。経営でも横掘りの戦略が求められます。」

 石見銀山生活文化研究所は、近年、梅の花から抽出した酵母菌「梅花酵母」を利用した商品を開発した。農学博士である従業員が発見したものだそうだが、これを利用した日本酒、みそ、パン、化粧品などがすでに開発されている。横掘り文化発言を裏付けるように、同研究所では、「梅花酵母」の技術をオープンソースとして公開し、県内の企業や事業者に商品開発を呼びかけている。


【地元から日本を盛り上げるキーパーソン】地域の暮らしに根差したブランドで街おこし…群言堂 松場大吉氏

《中尾真二@HANJO HANJO》

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