【テクニカルレポート】LEDプリンタの開発……OKIテクニカルレビュー(後編) | RBB TODAY

【テクニカルレポート】LEDプリンタの開発……OKIテクニカルレビュー(後編)

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OKI PHOTO PRINTER6220
  • OKI PHOTO PRINTER6220
■初期のLEDプリンタ

 第1世代のLEDヘッドを使って、最初のLEDプリンタ、OKI PHOTO PRINTER(以下OPPと言う)6100を製品化した。A4縦送り、10PPMの装置。小型、卓上にこだわり、用紙カセットが本体上部に飛び出しているユニークな形にまとめた。

 現像方式は磁性一成分、圧力定着用トナーを使って、石油ショック直後の当時、究極の省エネ装置の仕様にまとめた。この時、初めてトナーの評価の大変さを痛感した。圧力定着トナーは、まだ誰も実用化していないトナーで、日立金属の熊谷工場の技術者と、夜遅くまで実験と議論を重ねた。

 LEDヘッドも、トナーによる光源やレンズの汚れを防止する工夫、空冷フィン形状、組み立て性の改善などを実施し、やっと量産試作が開始された。本庄工場から高崎に届いたLEDヘッドを徹夜作業でプリンタに搭載し、横須賀のデモ会場までタクシーで運んだこともあった。このデモのあと、電信電話公社からLEDプリンタに関する技術発表を行うことの許可が下り、日経エレクトロニクス誌に発表した。残念ながら、解説記事で他社から消費電力や、光量バラツキで、時期尚早ではないかとの疑問を投げかけられた。

 1982年、OPP6100は出荷が開始されたが、台数も数十台で、コンセプト機のようなレベルで終わった。しかし、この実績で外販許可がおり、OKIとしての独自仕様のプリンタ設計が可能となった。並行して開発していた圧力定着器を搭載し、OPP6300としてまとめ、A3用紙対応のシステムプリンタとして出荷した。

■LEDプリンタの量産

 1983年、後継機として、台数の期待できる、卓上型で高速な国内市場向けシステムプリンタOPP6220(B4サイズ 20PPM@A4縦 写真3)の開発を開始し、これが実質的に、世界初の量産されたLEDプリンタと言える。

 当時プリンタと言えば連続紙が普通で、カット紙と言えば複写機(青焼き:ジアゾ式)用途が常識であった。ページ単位で印刷、制御を行うページプリンタとはどうあるべきか、などの検討を根本から行い、やっと製品品質の作り込みの段階に来た。

 翌年、この製品を外資系システムメーカ様へOEM提案。当時20PPMの高速印刷が可能なプリンタをシステムに構築できるメーカは限られていた。日本の子会社は製品開発に米国本社の許可が必要で、プロジェクトリーダが渡米し、本社役員会で社長の決済を取り、開発が正式に開始された。この時米国本社の技術部門にはすでにレーザを推薦するグループが存在し、LEDを推すグループとの間に激しい技術論争があった。そして、この技術討議で負けていたら、役員会にも掛らず、LEDプリンタは日の目を見なかった。と、20年後にお聞きした。

 我々にとってこのOEM先は先生で、安全性や信頼性に関する考え方は、本当に有益であった。信頼性試験は東北沖電気のフロアで、30万枚以上の実印刷試験を複数台に対して行い、用紙走行安定性を中心に、印刷品質、消耗品や装置の耐久性確認をした。現在のNIPの評価手法の基礎がここで構築された。当時高崎の環境試験室は、温度は可変だが湿度が制御できず、印刷品質評価は日米のOEM先の環境試験室で行い、アメリカ本国での評価対応のため長期出張し評価手法などを学んだ。現在のテストパターンの原型はこの時の経験をもとに作成されたもので、規約として運用可能なパターンの完成は1985年頃までかかった。

 このOEMビジネスで、本当の意味の商品に磨き上げる機会を与えてもらい感謝している。この時のOEM先とOKIの関係を、私は以下のように解釈していた。

 彼らはOKIの開発速度を利用し(彼らの想定開発期間の1/2以下で開発する我々を、脅威と言ってくれた)、開発費用を削減した。ただし、開発の質(設計品質)を向上させるため、OKIに知識を与え、教育し、フェアに扱い、パートナとしてレベルアップを図ってくれたと。

 この14年後、カラー機のOEMで再度付き合った時も全く同じ思いを持った。

 1970年代、SIDMの海外事業が立ち上がっていったが、NIPはまだ日本国内のみであった。海外での反応を確認する意味で、1984年この装置をNational Computer Conference(以下NCCショーと言う。アメリカ、テキサス州、ヒューストン市)に出展(個室展示)した。

 展示した部屋が、プロ野球球場のアストロドームの最上階で、早朝はエアコンが効かないため、制御基板が結露して放電破壊、現像器内のトナーも湿って画質は最悪、吸湿した用紙は破れ、現像器の分解清掃、再調整を行って、何とかデモを再開する、のくり返しであった。

 1984年のNCCショーには、半導体レーザ方式、液晶シャッター方式、それと我がLED方式の、全方式が揃っていたのである。

 最初のOEMビジネスは1984年から1988年まで継続し、その後の日本国内での労働省様などのシステム受注につながり、合計3000台以上の成果となった。2001年に圧力定着用紙の製造中止への対応で、代替え用紙の選定のための社内会議が召集されたことがあり、かなり長期間、使っていただいたものと推測している。新聞社の出荷ラベル印刷用では装置寿命(公称値100万枚)の3倍以上も丁寧に使っていただいた。

 圧力定着方式の限界(用紙の制約)から、熱定着方式の装置(OPP6250)を開発し、1985年から東京電力様などに出荷した。また、1985年の筑波科学万国博覧会に、横須賀通信研究所とOKIのFax開発部隊がG4-Faxとして共同開発し、出展したBHF(Broad band High speed Fax)のエンジンにも採用された。

 1986年、他社が10PPMのLBPを出した頃、LEDの高速性を活かすべくOPP6024(24PPM)の開発を開始した。OPC(有機感光体)を使うために波長も変更した第3世代のLEDヘッドは、ダイキャストのケースにコンパクトにまとめられ、ドライバICも小型になり、初めてアレイと呼ぶにふさわしい形となった。

 OL400/800(1988年から開発、1990年発売開始)でフルモールドのモノクロ機が完成し、量産化も順調に進み、LEDプリンタ事業が軌道に乗り始めた。ここでLEDヘッドは第4世代となり、現在とほぼ同じ形状になった。

 MICROLINE(以下MLと言う)801PSで、高解像度化を進め、文字の美しさをアピールし、国内DTP市場向けプリンタの基礎を作った。

 ML4wでは、個人で買えるプリンタを目指し、世界最小サイズのプリンタを設計し、タイ生産を立ち上げた。

 その後も独自でLEDの改良を進め、1990年代後半のカラー機用へと進化する基礎を築いていった。

 レーザ光学系はレンズ、モータ、ミラーなどの専業メーカが、それぞれ改良を進め価格も下がっていくが、LEDは自社で開発する必要があった。また、LEDはレーザより劣った技術と言われたり、LBPでないと入札ができないこともあった。

しかし、LED方式に特化することで、特許交渉で方式の違いを明確に主張できたことや、製品としても他社との違いをアピールできたことで、競争優位が保てたのだと思う。

 2009年、LEDプリンタの提案者である、元横須賀通信研究所の立石和義さんから次のお言葉を頂戴した。「今、LEDプリンタの良さが広く認知され、非常に嬉しい。LEDプリンタを世に出したいと言う夢は、沖電気のみなさんが事業として継続してくれたから実現できたのであり、その努力は発明の何十倍も大変なことであり、心からお礼を申し上げたい。」

 途中、何度も開発チームや事業体解散の瀬戸際まで追い込まれながらも、色々な方々の努力と、夢を実現したいとの熱い想いから、事業が継続できた。LEDは今後もますます主流技術になると信じている。最後に、20年以上事業を維持するための経費を負担してくれたSIDM部門をはじめ、多くの皆さまの後押しを受けて、今があることを心より感謝している。

■執筆者紹介(敬称略)
山本幹夫:Mikio Yamamoto. 株式会社沖データ前理事

※同記事はOKIの技術広報誌「OKIテクニカルレビュー」の転載記事である。
《RBB TODAY》

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