【テクニカルレポート】LEDプリンタの開発……OKIテクニカルレビュー(前編) | RBB TODAY

【テクニカルレポート】LEDプリンタの開発……OKIテクニカルレビュー(前編)

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沖エレクトロプリンタELP-8000
  • 沖エレクトロプリンタELP-8000
  • 第1世代LEDヘッド
 今日、オフィスには当然のようにプリンタが存在し、自分の作った資料を自由に印刷してくれる。プリンタと言えば、誰もがインクジェット方式か電子写真方式のプリンタを思い浮かべると思う。電子写真方式プリンタは普通名詞としてレーザプリンタと呼ばれることが多いが、最近ではLEDを光源とするLEDプリンタが注目されてきている。我々は、LEDプリンタと言えばOKIデータと言っても過言でないと自負する実績を積み上げてきた。今から三十数年前、機械式プリンタが主流だった時代、LEDプリンタの開発を始めた頃の話である。

■OKIのプリンタ

 1958年、高崎事業所(以下高崎と言う)が完成し、当時、テレタイプなど、機械式プリンタ(印刷電信機)の主力製造工場として繁忙を極めていた。当時のプリンタは高価で、大きくて重い機械(カラクリ)のかたまりそのものであった1)。

 プリンタは現在に至るまで、より高速に、より小型に、そしてより美しい印刷を求めて進化してきた。機械式プリンタの最大の欠点は、活字を使うため文字数が制限されること。漢字タイプライタのように多段シフトを活用した装置もあったが、高価で大きな装置で、専門のオペレータが必要であった。

 文字数の制約を解除するため、マイクロプロセッサの発明とともに、活字ではなく、ドットマトリックスで文字を表現する方式が採用され始めたのが1970年代初めであった。ドットをワイヤピンの衝撃力で印刷する方式が、インパクトドット(Impact Dot Matrix)方式で、1970年代の後半にはこの方式を用いて、一文字ずつ印字するプリンタ(Serial Impact Dot Matrix 以下SIDMと言う)が、OKIのプリンタ事業の主力製品になっていった。
 更に早く、美しく印字するために、SIDMのような機械的な動作を伴わない方式のプリンタ、すなわちNon Impact Printer(以下NIPと言う)が提案され、解像度と印刷速度の両方を同時に改善する競争も始まった。OKIとしての最初のNIPには沖エレクトロプリンタELP-8000(以下ELPと言う 写真1)が挙げられる。1974年、東京の科学技術館で行われた展示会で発表された。仕様は、英数カナモードで8000LPM(Lines Per Minute)(約564mm/秒)。プリンタ本体から飛ぶように流れ出てくる用紙は壮観であった。

 解像度は100DPI(Dots Per Inch)、漢字モードで4000LPM。インクミスト(霧状のインク)に選択的に電荷を与え、電界で印刷用紙に誘導して記録する方式で、世界最高速の装置であった。

 次いで、Laser Beam Printer(以下LBPと言う)が開発された。外部から導入した技術を元に、たった1年でまとめ上げた装置を、1976年の展示会で発表した。電子写真や光学系技術者が居ないなか、連続紙仕様のLBPを世界で3番目に発表できたのは、「端末の沖」の高崎の底力だったと思う。解像度は240DPIとなりELPに比べ、文字品質は大幅に改良された。印刷速度は2700LPM(190mm/秒。今風に言えば、A4横、50PPM(Pages Per Minute)機相当)。コントローラにはOKIのミニコンを採用していた。

 もうひとつのNIPは感熱紙を使うサーマルプリンタでOKIFAX用に開発され、一時はワープロ用として一世を風靡したが、保存性の関係で用途が限定され、広くは普及しなかった。ELP、LBP共に当時のホストコンピュータの周辺装置として位置付けられた、高価で大きな装置であった。市場も限定されており、OKIがOKITAC-5090から撤退した後、これらの装置は順次他社のプリンタに置き換えられて行き、市場から消えてしまった。

■小型化NIPへの想い

 1970年代後半、景気が低迷し、プリンタ事業の見直しが話題になる中、プリンタはSIDM中心にシフトし、ELPやLBP開発チームはすでに解散し、高崎のNIPの技術者は数名になっていた。しかしプリンタの将来を考え、わずかながらも担当を残し、研究は継続していた。

 初代LBPは、CdS感光体+液体現像方式で、定着工程での臭気が問題で、複雑なプロセスが高速化、小型化の制約となっており、脱CdSと現像方式の乾式化が研究されていた。

 海外からLBPのOEM の引き合いがあり、NC(Numerical Control)で培ったサーボ制御給紙機構を組み込んだばかりの本体に、乾式現像器とセレン系感光体を載せた装置でデモを行ったが、結局は失注。NIPはいよいよ完全撤退の瀬戸際に追い込まれていった。

 1977年、電信電話公社(現NTT)様の横須賀通信研究所から小型電子写真装置の光源として、LEDを使う記録方式の開発が提案された。当時の電電ファミリー各社は、メインフレームの周辺装置としてのLBPを開発しており、OKI以外はどこも新しい方式の研究に手を挙げなかった。また、OKI基盤技術研究所にはLEDの研究者がおり、応用の研究を進めていたことも、このテーマを受託した理由だったと聞いている。

 さらに、光学設計技術が無いこともその理由であった。複写機系メーカの多くは、カメラ部門を持っており、光学設計技術により、LBPのレンズ設計が可能であった。当時、光学設計には高速計算機が必要で、非常に参入障壁の高い技術であった。この技術を持たないメーカは液晶シャッター方式や、Optical Fiber Tube(以下OFTと言う)方式などの光源を採用していた。

 以上のように、OKIが光書き込み系にLEDを使うと決めたことには必然性があったのである。

 なんとか電子写真プリンタを小型な卓上型にまとめ、NIPで「端末の沖」を復活したい、と意気込んでいた私達に、LEDヘッドは希望を与えてくれた。

■最初のLEDヘッド

 横須賀通信研究所とOKI基盤技術研究所が、感光体の感度特性、LEDの波長・光量の関係など理論的な検討を開始した。高崎からは検討が進んだ段階から参加し、全体構造と給紙、転写、定着、制御系の設計を担当した。現像方式は乾式LBP用に開発していた磁性一成分を提案し、その検証用試験装置の設計、製造も高崎の担当となり、試験機を設計するなかで、電子写真の原理を学んでいった。方式特許の検討の中で、LEDを光源とする記録方式そのものは、すでに公知となっており基本特許にならないことも判明した。

 LEDヘッドの研究は、横須賀通信研究所とOKI基盤技術研究所の佐久田、安孫子を中心としたチームが、LEDチップをウェハから作り出すところから始まった。

 解像度をミリ系かインチ系のどちらにするかの議論も、OKIのLBPで採用していた240DPIを採用することになった。ミリ系はその後Fax用として採用されることになる。横須賀通信研究所の要求は、当初16本/mm(1200DPI相当)で、その趣旨はFax系とPrinter系の両方に使いたかったためとか。1200DPIは実現されるまでその後10年以上の期間がかかった。

 初めて128ドット分のLEDが搭載されたLEDチップを入手した時、このLEDヘッドによる文字の印字は電子写真プロセスではなく銀塩写真フィルム上であった。

 量産第1世代のLEDヘッド(写真2、図1)は、LEDチップ(128ドット分)を千鳥状に2列に並べ、感光体上で光の像が1列に並ぶよう、立体的に配置した構造であった。組み立てが難しく、光の像が直線にならず、一日に数台しか組めないこともしばしば。生産予定が立たない、また非常に高価なユニットであった。八王子の研究者が本庄の厚膜事業の工場で、後には秩父工場で、残業して調整作業を行い、必要な台数を出荷してくれた。

 LEDヘッドの光学系として、当初はガラスファイバを検討したが、感光体に対向した端面があっという間にトナーで汚れ、使い物にならない。1950年代の特許の実施例ではガラスファイバやOFTが当然のように使われていたのであるが・・。

 丁度その頃普及し始めた、小型卓上複写機の中で使われていたのがSelf-focus Lenz Array(以下SLAと言う)で、これを見たときは直感的に「これだ!」と思った。非常に調子が良くて、解像度や、寸法精度などの改良は行ったが、いまだにSLAを使っている。SLAの代表的な商品としてはセルフォックレンズアレイがある。

 LEDヘッドの研究は、発光量のばらつきとの戦いが最大の課題であった。ばらつきは結晶格子の欠陥が原因と分かっていても、欠陥を皆無にはできず、最後には逆転の発想で、欠陥を分布させることで均一性を確保する方向に進み、量産で使えるレベルになった。とは言っても、チップごとに光量をクラス分けし、発光させながらレーザで補正抵抗をトリミングすることなどとの併用で、出力ばらつきを圧縮し、使用可能とした。この光量ムラが画像には縦筋となって現れ、LEDの最大の欠点と言われた。その後も光量均一化の改良をすすめ、カラー機用の仕様を達成するまでに20年以上かかった。

■執筆者紹介(敬称略)
山本幹夫:Mikio Yamamoto. 株式会社沖データ前理事

※同記事はOKIの技術広報誌「OKIテクニカルレビュー」の転載記事である。
《RBB TODAY》

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