「日本語がわからないのに涙が流れる」
「気づけば涙がこぼれていた。こんな経験は初めて」
「ただのカバーじゃない!魂を揺さぶる圧倒的な歌声」
韓国MBN「韓日歌王戦」に出場し、大ブレイクを果たした歌心りえ。圧倒的な歌声に魅せられた観客たちからは、絶賛の声が相次いだ。その反響は数字にも表れ、MBN公式YouTubeでは、「雪の華」(中島美嘉のカバー)の動画再生回数は1,000万回を突破、「道化師のソネット」は900万回を突破している。
■MBN公式YouTube「雪の華」
■ビクターエンタテインメント公式YouTubeチャンネル「道化師のソネット」
2024年、オーディション番組「トロット・ガールズ・ジャパン」で準優勝を果たし、韓国MBNの「韓日歌王戦」や「韓日トップテンショー」に出演、さらにCX「歌ウマ女王日韓決戦 JAPAN ROUND」では1位を獲得した彼女。その勢いは加速し、今年4月には、ビクターからアルバム『SONGS』、さらにエイベックスからアルバム『HEARTS』をリリース。51歳にしてソロメジャーデビュー、2レーベルから“異例の”アルバム同時リリースという、シンデレラストーリーを実現させた。
しかし、なぜこれほどの歌唱力をもつ彼女のソロメジャーデビューが“今”だったのか。そして、なぜこの才能が発掘された場所が、オーディション番組だったのか。
華々しいデビューからフリーへの転向、バイト生活、声帯の故障、音楽と距離を置いた日々、再起を支えた家族の存在。ソロメジャーデビューまでの経緯を紐解いていくと、人間味あふれるドラマが隠されていた。
だからこそ、人々は彼女の歌声に涙し、その感動は国を超えたのだろう。歌心りえ”という名には、「歌は心」という自身のモットーを込めているという。彼女がアルバムの歌に込めた心、そんな心を築いた軌跡を深掘ってみた。

デビューから6年目の決断!
「お母さん、実家帰っていい?」
―2レーベル同時リリース!率直な感想を教えてください。
本当に奇跡だと思っていて、嬉しいの一言です。このような環境と機会をいただけたことを本当に感謝しています。
―ご家族など周囲の反応はいかがですか?
家族もずっと応援してくれていて、母は私が歌王戦に出場したときの動画をずっと実家で流していたりして、本当に喜んでくれています。遅くなってしまったけれど、ようやく親孝行らしいことができました。“お母さんに喜んでもらえることが、私も嬉しいよ”と、母に話しています。

―1995年に3人組ユニット「Letit go」のボーカルとしてデビューし、今年51歳でソロメジャーデビュー。これまでの歌手生活の歩みを教えてください。
Letit goでは、セカンドシングル「200倍の夢」をポカリスエットのCM ソングに起用していただいて、CMのイベントに出演させていただいたりしていました。でも、表だった活動はそのくらいで…(笑)そのあとLetit goを離れて、実姉と「Ciao (チャオ)」というユニットを結成しました。運良くシングルもいくつかリリ-スできて、楽曲をテレビ番組「音楽空間アンモナイト」のエンディングテーマに起用していただいたこともありました。そのあと、1999年にはZEEBRAさんのバックアップで「冷たい水の中の太陽 features ZEEBRA REMIX」をリリースさせていただいて…。でも、そこから色々経ていくと、実家に一度戻っていた時期もあるんです。
―え!何かあったんですか…?
実はレーベルも事務所さんも全部離れてしまった時期があって。さらに、当時付き合っていた彼氏には“さよなら”を言われてしまって…。“これはどうしよう!”と思って、「お母さん、ごめん。実家に戻ります」って言って実家に戻りました。
―それは何歳くらいの頃だったんですか?
26歳くらいだったと思います。親のすねをかじり続けるのもいけないなと思って、実家に戻ってからは、小さな子ども達を対象にした英会話教室で先生のアルバイトをしていました。でも、弾けないギターを片手に自作曲もためていて、東京で音楽プロデューサーをしている知人に相談をすることもありました。

ー音楽と向き合うことは続けていたんですね。
はい。そこから、再び東京に出ることになるんですが、母は「やりたいなら、行きなさい」とすぐ送り出してくれました。本当にありがたかったです。母にはいろいろと苦労かけてしまっていたので、“ごめんね”という気持ちもたくさんありました。
―東京に戻ってきたのは、何歳頃だったんですか?
27、8歳くらいの頃です。そこからソロでミニアルバムを1枚リリースして、2004年からピアノ・ボーカル・チェロの3人ユニット「September」での活動がスタートしました。私自身が結婚して、子育てするタイミングもあったので、2008年以降に事務所を離れて、その後はソロでフリーで活動してきました。
2度の声帯故障、不安が募る日々...
夫が導いた再起の道「君には歌がある」
―歌をやめようと思ったことはありましたか?
ありました。実は声帯を2回壊していて、2回目が一番症状が悪かったんです。声が出なくなって、筆談を余儀なくされました。その間、人前で歌うことが怖くなっちゃって。もしお客さんの前で声が出なくなったり、ハプニングが起こってしまったらどうしようっていう不安ばかり募って…。そしたらもう、精神面がかなり落ち込んじゃったんですよね。
―辛かったですね…。そこからどうやって、歌と向き合ってきたのですか?
夫が下北沢で音楽食堂を営んでいて、私もそこの手伝いをしていました。ミュージシャンのライブを観ながら、食事ができるお店で、私もミュージシャンの皆さんがステージで歌う姿を観て、かっこいいなと思っていました。でも一方で、「こんなに楽しませてくれるミュージシャンの方々がいるんだから、もう私の歌なんてもういいや」と、うじうじしていました。夫はそんな私の様子を見守ってくれました。ある日、夫が「君、いつになったら歌うの?」って声をかけてくれて、「君には歌があるでしょ」って言ってくれたんです。その瞬間、我に返りました。その言葉を機に、もう一度、歌に向き合ってみようと決心しました。

―家族の言葉が再起のキッカケになったんですね。声はどのように戻していったのですか?
歌い方、発声方法を変えることを意識しました。いざ歌って声を出してみると、高い声や中音域を出したときに、引っかかる違和感がありました。このまま同じように歌ってたら、また声帯を壊してしまうと思って、歌うポジション、声の出し方を変えていかないといけないと思いました。
―歌い方を変えることは、難しいことだったのでは?
時間はかかりました。そのときは、音楽仲間たちが1、2曲だったら歌えるんじゃないかって言って、イベントで人前で歌う機会を用意してくれたりしました。自信が戻ってきたのは、半年くらい経ってからです。ソロでワンステージやってみようと思い始めた頃、トロットオーディション番組「トロット・ガールズ・ジャパン」の話が舞い込んできました。
「年齢的に出場して大丈夫…?」
人生を変えたオーディション番組
ーオーディションに参加した経緯を教えてください。
オーディションの存在は、知り合いが教えてくれました。話はありがたいけれど、“なんで今更オーディション?”と思ったし、そもそも年齢的なところは大丈夫なのかと(笑)出場については、何日か悩みました。そこで、私自身がオーディションを受ける意味を考えることにしました。出場を悩んでいた時期は、デビュー30周年が近づいていた頃でした。受ける意味として考えたのは、「“今の私”の歌をどのように評価していただけるのかな」ということ。審査員の方々から言葉をいただけたら、それが次のステップに繋がると思い、挑戦してみようと自分で応募しました。

―トロット・ガールズ・ジャパンでファイナリストへ。その後、韓日歌王戦などに出演が続き、歌心さんの歌声は一気に注目を集めました。その手応えを実感する機会はありましたか?
SNSに韓国の方がコメントしてくれることが増えたり、声を掛けていただく機会が増えました。韓国では、空港の職員さんに“ファンです!”と声をかけていただいたり、お店で食事をしていたら、帰り際にお店のスタッフさんに、一緒に写真を撮ってほしいとお願いされたり(笑)
―日本ではいかがでしたか?
日本でも空港の職員さんが「もしかして、歌心りえさん?」と名前を呼んでくださったり、駅のホームで電車を待っていたら、日本に遊びに来ていた韓国の方から「応援しています」とエールをいただきました。今までそういう経験がなかったので、皆さんが自分を観てくれていたんだなと実感しました。
アルバムにはデビュー曲も再収録!
紆余曲折して得た、“無理を選ばない”強さ
―『HEARTS』には、Letit go時代のセカンドシングル「200倍の夢」が再収録されています。
レコーディングはすごく面白かったです。でも、“声の衰え”を正直感じるときもありました。体調によりけりですが、当時と同じキーで歌うのはちょっとキツいなと思うときもあったりとか。だけど、メンタル的には、すごく清々しい気持ちでいることができました。キーが高かろうが無理をしない、無理をしないで歌える自分を作れている自信があったからだと思います。「無理をしない=力を抜いている」という意味ではありません。100%が必ずしも良いわけではなく、気持ちは120%でいること。聴いてくださっている方々を、私は絶対に裏切らないという気持ちを常に持っています。
―今までの経験が歌との向き合い方をより進化させたのですね。
51歳の私が歌ってる「200倍の夢」は、“夢をこれから追いかける!”と意気込んでいる21歳の私が歌っているものではありません。私自身、もちろん夢はあるけれども、“200倍の夢をみんなも持っていきましょう!”という意味を込めて、今歌っています。
ー“自分の歌”でなく、みんなに向けた歌に変化したということですね。
どこか諦めてしまったものが何かあったとしたら、そこをやり直したいと思う気持ちがあるのなら、それを起こしてみようよ!と。それが100倍、200倍になっていけたら、もしかしたら、掴めるかもしれない。未来に期待できるものが、見つかるんじゃないかと思って歌っています。

―『SONGS』には、歌心さんが作詞に参加したオリジナル曲「おかあさんのうた」、「ふたりのバースデー」が収録されています。
「おかあさんのうた」では、私の心配性な母のエピソードを盛り込んでいます。2012年に完成していた楽曲だったのですが、ディレクターさんが気に入ってくださって、収録を提案してくれました。「ふたりのバースデー」は、作曲は韓国、作詞は日本で行いました。応援してくださるコメントの中で、韓国の方から「韓国と日本を歌で繋いでくれて、あなたは今架け橋になってます」という声をいただいたことがあって、ディレクターさんもこの1曲を“韓国と日本の架け橋”にしたいとおっしゃっていました。
―最後に、今後の展望を教えてください。
日本には名曲がたくさんあります。その名曲たちを、韓国の方々に“まだこんなに素敵な楽曲があるんですよ”と伝えたいです。大きな言葉になってしまいますが、“伝道師”のような存在になっていけたらいいなと思っています。また、オリジナルの楽曲制作も見据えて、作っていきたいなと思います。韓国でのコンサートを通して、韓国にも待っててくださるファンの方々いることを知りました。なので、日本と韓国、両方でコンサートを引き続き開催できるよう、欲張りに頑張りたいと思っています。

■アルバム情報
『SONGS』
発売元/ビクターエンタテインメント株式会社
VICL 66056
製品価格/3,500円(税込)
[収録曲] ※カッコ内はオリジナル歌手
1. 道化師のソネット(さだまさし)
2. 雪の華(中島美嘉)
3. 恋人よ(五輪真弓)
4. メロディー(玉置浩二)
5. 木蘭の涙(スターダスト☆レビュー)
6. たそがれマイ・ラブ(大橋純子)
7. 唇よ、熱く君を語れ(渡辺真知子)
8. 絆(橋幸夫)
9. 街の灯り(堺正章)
10. つばさ(本田美奈子.)
11. おかあさんのうた(オリジナル)
12. ふたりのバースデー(オリジナル)
『HEARTS』
発売元/エイベックス・ミュージック・クリエィティヴ株式会社
AVCD 63705
製品価格/3,500円(税込)
1. 翼をください(赤い鳥)
2. 愛をこめて花束を(Superfly)
3. 言葉にできない(オフコース)
4. 雪の華 -Strings Edition-(中島美嘉)
5. 奏(かなで)(スキマスイッチ)
6. プラネタリウム(大塚愛)
7. 愛のうた(倖田來未)
8. サンサーラ(中孝介)
9. 秋桜(山口百恵)
10. Friend(安全地帯)
11. 200倍の夢(Letit go)
12. 瑠璃色の地球(松田聖子)