【インタビュー】脱ぐことは戦うこと……全裸ジャケット&水着ライブで話題のシンガーソングライター・藤田恵名 | RBB TODAY
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【インタビュー】脱ぐことは戦うこと……全裸ジャケット&水着ライブで話題のシンガーソングライター・藤田恵名

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【インタビュー】脱ぐことは戦うこと……全裸ジャケット&水着ライブで話題のシンガーソングライター・藤田恵名
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「今、一番脱げるシンガーソングライター」として話題沸騰の藤田恵名が6月20日にニューシングル「言えない事は歌の中」を発売する。アーティストであり、グラビアアイドルとしても活躍する藤田は、「シンガーソングラドル」として、水着ライブや全裸ジャケットなどセンセーショナルな挑戦を続け、注目を浴びている。

 シンガーソングライターでありながら“脱ぐ”ことをいとわない藤田はどんな思いから現在に至ったのか。音楽との出会いから、全裸ジャケットやビキニライブへの思いを語ってもらった。

--- 新曲「言えない事は歌の中」はどんな楽曲になっていますか?

普段、生きている中で、言えないことや自重することが多いと思いますが、「これをSNSに書いたらダメなのだろうな」という気持ちも歌の中なら許されるのではと思うところがあります。そんな気持ちを、あわよくば自分の言葉や歌詞に共感してくれる人がいればいいなという思いでを書きました。最近、聞けば聞くほど含みが出るような歌詞を書けるようになりたいなと思うようになり、今回はいつも以上にその思いが強かったです。男女問わず、気持ちを外に出せない人にこそ聞いてほしいです。私と一緒に、“戦闘力”をあげてほしいなと思います。



--- 藤田さんの表現では“戦闘力”がひとつのキーワードになっていますが、“戦闘力”を感じるのはどんなとき?

今、全裸グラビアをやって、水着姿で歌っている中で、誹謗中傷とかを浴びれば浴びるほど戦闘力があがるのですよ。アウェイな場所にいればいるほど、「この人たちを味方につけることができたらどんなに嬉しいだろう」と思って、そのときに戦闘力があがるのかなと思います。

--- イロモノと観られていると感じる?

感じます(笑) ネットニュースでは画像だけが先行して世に出ることが多いと思いますが、それを見て、「真剣に音楽やれよ」とか……そういう書き込みを見ると、私の曲はまだまだ届いていないのだなと思います。そういった誹謗中傷で私のフラストレーションはいい意味でたまっていきます。私を批判している人がいつか私の曲を聴いたり、私のライブを観てくれ、「悪くないな」と思われればいいなと思います。そういう人の耳にも、いつか私の音楽が届いてほしいです。



--- 最初に、歌に出会ったキッカケは?

3歳か4歳のときに、セーラームーンの歌を親の前で歌い、すごく褒められたのですよ。それが嬉しくて、耳に入る曲や、幼稚園で習った曲を親の前で披露していました。もっと褒められたいという気持ちから歌が好きになり、気付いたら歌手を志すようになっていました。

--- 本格的に歌を始めたのは?

小学校3年生のときに、新聞の隅に「ダンス&ボーカルレッスン生募集」の広告を見つけて、「通いたい」と言ったのがキッカケです。中学校のときに吹奏楽部をやっていて通えない時期もあったのですが、小学3年生から19歳までスクールに通いました。

--- 初めて、人前に立って歌ったのは?

10歳のときです。ショッピングセンターに、スクール生が歌うことができるステージがありました。そこに1人で出たり、歌いながら踊るユニットを組んで4人歌ったりしていました。10歳ながらに人前で歌うことに快感を覚えてしました。そんな私の歌手になりたいという夢を、お母さんがすごく応援してくれました。


--- 歌詞を書き始めたのは?

中学1年生のときです。言葉を書いたポストイットが流行っていたことと、当時、いじめに遭っていて友達と遊べなかったので、ノートに思ったことをいっぱい書いていました。詩やイラストを投稿する雑誌を読んでいたこともあり、見よう見まねで歌詞を書き始めました。

--- 高校卒業後、19歳のときに福岡から上京していますが、上京するキッカケは?

高校在学中から事務所にも入っていてCDも出していたのですが、そのときはガールズバンドでドラムをやっていました。「本当は歌を歌いたいんだけどな」と思っていたのですが、なかなか言い出せなくて。ただ、そんなときに、乳がんと肺がんで闘病していたお母さんが余命を宣告されました。「幼いころから歌手になることをお母さんに応援してもらっていたのに、私はなんでドラムをやっているのだろう」という気持ちになりました。もう1回、お母さんに、私が歌っている姿を見せようと決心し、上京しました。それから、東京で路上ライブなどの活動を始めました。



--- お母様に歌っている姿は見せられた?

お母さんは、私が20歳のときに亡くなってしまいました。東京で歌う姿を見せることはできなかったのですが、ちょこちょこ福岡に帰っていました。東京で自分が歌う姿をビデオカメラで録画して、そのビデオを流しているスクリーンを携帯電話で撮影し、携帯の画面でお母さんに見せていました。お母さんは、「頑張っているんやね」と言ってくれました。お母さんをライブに呼びたかったという気持ちは今でもあります。
《竹内みちまろ》
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