【視点】急成長!鎌倉生まれの和服ブランド「鎌倉三衣」の世界挑戦 | RBB TODAY
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【視点】急成長!鎌倉生まれの和服ブランド「鎌倉三衣」の世界挑戦

エンタープライズ 企業
鎌倉三衣の創業者、鈴木瞬氏
  • 鎌倉三衣の創業者、鈴木瞬氏
  • 「鎌倉三衣」が手掛ける作務衣
  • 「鎌倉三衣」が手掛ける作務衣
  • 「鎌倉三衣」が手掛ける作務衣
 14年のブランド設立と同時にクラウドファンディングで100万円を超える資金を調達。その後の1年間で海外の市場や見本市への展開を視野に入れるなど、急成長を遂げた和服ブランドがある。北鎌倉の駅前に軒を構える「鎌倉三衣」。約350山の寺社仏閣を擁するこの地で、作務衣の製造と販売を手掛ける会社だ。

 創業者の鈴木瞬氏は、12年に自治体デザインコンテスト「未来自治体」で、鎌倉市におけるグランプリを受賞。そのビジョンを実現するためにNPO法人を立ち上げると、着物で町のコミュニティを活性化するために、鎌倉市と共同で様々な取り組みに携わってきた。

 とはいえ、この鈴木氏、実は元々は和服業界に携わっていた人物ではない。かつては発展途上国の開発支援を手掛けたり、エンジニアとしてシステム開発の会社を立ち上げたこともある、この業界ではちょっと変わった経歴の持ち主だ。

■作務衣ビジネスで国内の和服文化を未来へつなぐ
 そもそも鎌倉三衣という自社ブランドを立ち上げた目的は、和服文化の振興にあるという。かつて、発展途上国の開発を支援する中で、いくつもの伝統産業が消えていく様子を目の当たりにした鈴木氏。その目線で国内を振り返ると、ライフスタイルの根幹となる衣食住のうち、和服の文化だけが目に見えて衰退していると感じたという。

「言ってみれば和服というのは、コスプレに近いカテゴリになっているんです。成人式や結婚式などで着るための衣装。もちろん、民族衣装にはそういう側面もあるべきです。しかし、次の時代に合わせた継承を行わなければ、新たなビジネスは生まれませんし、技術を先に進めるための体力も失われてしまいます」

 だから、和服で純粋にビジネスをする。製糸、染色、縫製など国内の職人がもつ仕事を増やさなければ、衰退は避けられないというのが鈴木氏の考えだ。しかし、今の洋服を中心とした服飾文化に、いきなり和服を提案するには無理がある。洋服と和服、その橋渡しをするものは何か。それを考えたときに、鈴木氏の頭の中に浮かんだのが作務衣だった。

 作務衣とは禅の修行の中で、お坊様が作務……つまりは掃除や畑仕事といった雑事をこなす際に着るものとして、昭和初期から使われ始めた衣装のこと。前で合わせて紐を結ぶだけと身に着けやすく、ゆったりとしたフォルムで着心地も良い。甚平などと同じで、日々の生活にも比較的に取り入れやすかった。

 その後、鈴木氏は約半年をかけて、国内の優れた職人や工房を探して産地を回ることになる。素材となる和布の製造元では、浜松織を手掛けるある工房にたどり着いた。軽く、薄く、まるで丈夫な和紙のような独特の手触りの織物。その風合いを生み出すために、工房では強い撚りをかけて、同じ面積の生地に通常の倍の綿花を使用。それを、60年前から使っているという織り機で、ゆっくりと均等に、適度に空気を含むような間隔で織り上げていた。

「この職人さんの面白いところは、ミラノの展示会などに出展していて、ほとんどの売り上げを海外で出しているんです。そのためにはクォリティを維持するだけでなく、毎年新しい技術を開発していく必要があります。そうした人の手が入らないと絶対できないものを、ある程度の数で量産させている。その姿勢に共感し、国内にも広めたいと考えたんです」

 一方、染織では天然草木染を得意とする職人に鎌倉で一人、京都で一人出会うことができた。そんな彼らが自然の草木を煮出した染料で、浜松織の和布を重ね染めしていく。こうして完成した作務衣は自然の風合いが優しく、着れば着るほどに肌馴染みのする質感を生み出した。

■鎌倉発のモノづくりを土地の寺社に売り込む
 鎌倉三衣は14年3月、鎌倉を代表する禅寺として知られる円覚寺の境内でお披露目会を行った。当初のターゲットとしたのは、やはり寺社仏閣のお坊様たち。縦割り組織で体育会系な世界のこと、若い僧侶が高価な衣装を着るのはためらわれるだろう。ならばと比較的に年齢が高く、階位も上の方々に狙いを定めた。

 ただ、保守的であることが良いとされるお坊様に、斬新な衣装を進めることはできない。では業界では後発となる鎌倉三衣が、どこで勝負すべきなのか? これについて鈴木氏は、当時ある程度の勝算を見込んでいたという。

「お坊様の中には、寄付で頂いたお金がどこに流れるかを気にされる方が多いんです。その根幹となっているのが、地元の檀家に収めていただいたお金は、地元に還元すべきという考え方ですね」

 しかし、作務衣の市場を見渡すと、そのほとんどが京都の法具屋でしか扱っていない。寺社の多くは仕方がなく、それを取り寄せて使っていた。さらに、立地が近ければ急ぎの納品などにも柔軟に対応できるため、鎌倉で作務衣ビジネスを展開するアドバンテージは非常に大きなものと思われた。

 その上で、鈴木氏は寺社に作務衣を売り込むにあたって、エシカルなモノづくりを押し出した。草木染めは埋めても地球にやさしく、素材も汚染物質のないオーガニックなものばかり。もちろん、その生産にあたって児童労働などの違法性は存在しない。こうしたモノの素材や背景にこだわるお坊様は想像以上に多かった。

 鎌倉発のエシカルなモノづくり。これを武器に鈴木氏はブランド立ち上げた後、市内の寺社を回り始めた。そして、その取り組みは狙い通りに、お坊様の関心を引くことに成功する。寺社同士に横のつながりがあったこともあって、やがて作務衣は鎌倉の寺社へと徐々に広まっていった。

■エシカルな作務衣を国内から海外へと展開
 こうして寺社とのつながりを深める一方、ライフスタイルの中の作務衣という鈴木氏のコンセプトも、着実に歩みを進めていた。ここでもキーワードになったのは、やはりエシカルというセンテンス。ファッションとは自分を表現するためのものと捉えたときに、その裏側にあるストーリー性は必要不可欠なものだった。

 それに加えて鈴木氏は寺社との間に築いた関係も、製品のバックボーンとして取り入れる。これまでに寺社と付き合う中で、彼の中にはお坊様の思想、つまりは禅に対する下地ができていた。これらを作務衣が持つ文化や精神性として打ち出すこと。それが、作務衣をファッションとして広めていく上で、鈴木氏が思い描いた絵図だった。

「禅に言われる作務において、掃除とはただ埃を掃き清めることではありません。自らの心をこめて、心の掃除をすること。そのプロセスを重要視しています。つまり、極論を言えば作務衣とは作業着であり、作業を禅的な行為としてとらえるよう、心をスイッチするための道具として利用できないかと考えたわけです」

 なお、作務衣の中に禅の姿を見たことには、アメリカで流行しているマインドフルネスの存在が一つのキーになったと鈴木氏は話している。これは禅をルーツに、脳科学的な要素だけを抜き出したもので、主には瞑想をして精神を統一する行為を指している。どうやら鈴木の頭の中では、そのトレーニングウェアとして作務衣を欧米に売り込むことが、会社の設立当初からビジョンとしてあったようだ。

 鎌倉三衣では現在、パリの日仏会館、ロンドン・ピカデリーサーカスのJP BOOKSで作務衣を展開している。それに加えて、日本伝統文化産業振興会(JTCO)がパリ、ロンドン、サンフランシスコ、ニューヨークに展開を予定しているショップでも、製品を販売できるよう交渉を進めているところだ。15年9月からは東京の歌舞伎座でも、やはり作務衣の展示を計画している。着物のように堅苦しくなく、気軽だけど本物の和服。それが、海外ではいわゆるクールジャパンという形で、日本文化を愛する人々から人気を集めているようだ。

 その一方で国内を見てみると、鎌倉三衣の作務衣を好んで着ている人の中には、スタイルの格好よさ、着心地を愛している人も多かった。しかし、スタンダードな作務衣を着て街中を歩けるかというと、やはりどうしても浮いてしまう。「東京の銀座などの光景にもマッチする作務衣は作れないか?」。そんなユーザーのリクエストを受けて、鈴木氏が提供したのがジャケットスタイルの作務衣だ。これは現在、ブランドの人気アイテムとなっているが、その開発には様々な試行錯誤があったという。

「例えば、完全なジャケットを作るとすれば、洋服から派生した方が自然なわけで、日本的なものとしては違和感があるわけです。素材やフォルム、襟元を合わせて紐で結ぶというスタイル。さらには作務衣の持つコンセプトなど、そのうちの何を残して、何を許容するかという部分では随分悩まされました」

■クラウドファンディングでの成功、その理由は?
 鎌倉三衣の経営を追う中で、欠かせない要素の一つがクラウドファンディングの存在だ。元々はIT業界に所属していた鈴木氏。以前からニッチなモノづくりと、ネットで資金を集めるという仕組みは相性が良いと感じていた。

 しかし、実際に募集を行ってみると、それを成功させるためには想像以上の苦労があったという。鎌倉三衣の活動をネットで紹介するといっても、作務衣は実際に着られないし、写真でも分かりにくいし、草木染の香りも伝わらない。まして、禅とは何かを言葉で説明することは、お坊様でも簡単なことでは無かった。

 では、なぜ鎌倉三衣がスタートアップで100万円を超える資金を調達できたのか? これについて鈴木氏は、募集を行ったサイトを運営する会社の協力が大きかったと話している。

「最初に募集を行ったのは、鎌倉にフォーカスした『iikuni』。クラウドファンディングとしては、決して規模の大きなサイトではありません。ですが、作務衣をサイトで売り込むにあたって、本当に色々とアドバイスをして頂きました。おかげで、目標金額の2倍以上の協力金を集めることができたんです」

 サイトに掲載する資料の作り方、写真の見せ方、初動の数字に対応した新たなアプローチ。そうした商品の見せ方、売り方が体系化されていたため、鈴木氏はプロジェクトを動かしている間は、常に詳細なアドバイスが得られたという。JTCOが設立を予定している海外店舗に商品を展開する計画も、実は彼らの紹介があってのことだった。

「クラウドファンディングを通じて、全く知らない人に作務衣の魅力を伝えられる。それがITを利用する上での、お金には変えられない価値だと思います。パートナーとしてクラウドファンディングを見たときに、もちろんネットワークの規模は大事ですが、その思想や訪問者にアプローチする手法はきちんと見ておくべきだと思います」

■鎌倉三衣を世界に通じるブランドに
 15年6月、鎌倉三衣は2度目となるクラウドファンディングの募集を行った。その目的は海外への販路を拡大すること。さらには、パリで開催される欧州最大級のインテリア・デザイン見本市「メゾン・エ・オブジェ」に参加するための資金調達だった。

 メゾン・エ・オブジェは審査が厳しく、それ以上にバイヤーの判断がシビアなことで有名だ。一瞬で目を引くようなディスプレイも必要なら、シッピングから関税までのスピーディーな説明も求められる。ブランドの知名度を上げるための展示会ではない。出展者にとって純粋な販路拡大のための場であり、バイヤーは即日で契約を成立させる。

「素材がどれだけユニークか、ルーツやアイデンティティは何か。織りの幅が1ミリ変われば、それは何故かと問われる。それだけフランスというのは、ファッションにシビアで感度が高いんです。だからこそ試金石として挑戦すれば、世界で認められるチャンスになります」

 日本におけるファッションの基本軸はあくまでも海外。海外で流行っているものを探しているときに、実は作務衣が売れていた。そのポジションまでブランドを押し上げることが、今の鎌倉三衣の目標だという。鎌倉から発信して、世界に通じるブランドへ。会社の設立から1年、鈴木氏は今も全力で走り続けている。

【地方発ヒット商品の裏側】鎌倉生まれの和服の未来、作務衣ブランド「鎌倉三衣」の世界挑戦

《丸田鉄平/H14》
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