ナタールとアメリカのただならぬ関係……まもなくW杯日本対ギリシャ戦 | RBB TODAY

ナタールとアメリカのただならぬ関係……まもなくW杯日本対ギリシャ戦

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ナタル (c) Getty Images
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  • エスタディオ・ダス・ドゥナスで練習する日本代表(6月18日) (c) Getty Images
  • エスタディオ・ダス・ドゥナス (c) Getty Images
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  • アメリカのマイケル・ブラッドリー選手のファン(ガーナ対アメリカ、6月16日) (c) Getty Images
  • コロンビア対ギリシャ(6月14日)
  • ナタル (c) Getty Images
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 日本代表がギリシャを相手にワールドカップ第2戦を戦うナタールは、第1戦を戦ったレシフェと同様、大西洋に面した美しいビーチが連なる都市である。日本対ギリシャは現地時間19日19時、日本時間20日朝7時キックオフの予定だ。

 「ナタール」とはポルトガル語で「クリスマス」を意味するが、これはこの街が1599年12月25日に設立されたことに由来する。ナタールからアフリカ大陸までの直線距離は3000kmにすぎない。実は、このことが理由で、ナタールは第二次世界大戦中に連合国軍側の重要拠点となっている。

 戦時中、ブラジルはその他のほとんどすべてのラテンアメリカ諸国と共に連合国側につき、1942年8月31日に枢軸国側への宣戦布告を行なった。当時の大西洋は、アジアからヨーロッパ、あるいはアメリカへと物資を運ぶ重要なルートとなっており、ドイツやイタリアの潜水艦による連合国船舶への襲撃が相次いでいた。ブラジルの船舶も35隻がが被害に遭っている。

 1942年11月、ナタールに米軍基地「パルナミリン・フィールド」が設置された。当時としては、アメリカ国外で最大規模の基地だった。枢軸国の潜水艦を撃沈する目的に使われたばかりでなく、同じ月に開始された連合国軍による北アフリカ上陸作戦「トーチ作戦」において「勝利のトランポリン」として機能したのである。アメリカから飛んで来た米軍機はナタールで給油をし、セネガルを経由して北アフリカへと向かったのだった。

 終戦までの約3年間、人口5万5000人の小さな街にすぎなかったナタールにはおよそ1万人の米兵が暮らしていたと言われる。そのため、ナタール住民はブラジルで最初にチューインガム、コーラ、ケチャップ、ジーンズを知ることになった。この時代にナタールで生まれた男児に「ウズナヴィ」という他の地域には見られない名前が多いことが知られているが、これはなんと“US Navy”をそのまま子供の名前にしているのである。

 時代はめぐり、アメリカのチームがワールドカップでガーナと対戦するためにナタールへやってきた。降り立った国際空港は、まさに米軍基地の跡地に作られたものである。ジョー・バイデン副大統領(基地と同じ1942年11月生まれ!)ほか、およそ2万人のアメリカ人サポーターが街を訪問したと見られ、現地紙は「ナタールは再びアメリカ人であふれかえる」と報じている。また、同記事では、アメリカのマイケル・ブラッドリー選手の祖父がアメリカ海軍の兵士だったことを突き止め、紹介している。アメリカはこのあとドイツと6月26日(現地時間)に対戦する。会場はナタールではなくレシフェである。

筆者紹介:高木耕(たかぎ・こう)……神田外語大学ブラジル・ポルトガル語専攻教員(准教授)。1994年筑波大学大学院修士課程修了。外務省専門調査員、国連平和維持活動選挙監視員、国際協力機構長期派遣専門家を経て2001年より現職。「ポルトガル語」、「ラテンアメリカ政治論」、「国際開発論」などの科目を担当。ブラジルのリオデジャネイロとレシフェに5年ずつとコロンビアのボゴタに3年間住んだ経験があり、それぞれの国ではスタジアム、対戦カードを問わずサッカー観戦を繰り返す。昨年、テレビ朝日系「世界なるほど!CM学院」に出演している。
《高木耕》

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