【仏教とIT】第5回 “ご朱印ブーム”とお寺体験の未来 | RBB TODAY
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【仏教とIT】第5回 “ご朱印ブーム”とお寺体験の未来

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【仏教とIT】第5回 “ご朱印ブーム”とお寺体験の未来
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信仰の証だったご朱印



  “ご朱印ガール”という言葉を初めて聞いたのは確か数年前だったと思う。このとき、恥ずかしながら私は、「奇特な人も居るもんだ」というぐらいにしかとらえていなかった。

 同様の感覚を抱いていたお寺関係者は少なくない。私より少し年上の知人僧侶に、もう20年も前から全国各地のお寺を巡ってご朱印集めをしてきた“ご朱印ボーズ”がいるが、彼もいまだに“ご朱印ブーム”に違和感があるという。

 彼は一般家庭に生まれ、大学時代に志を持って仏門に入った。そして、真摯な想いを抱いてお寺を参拝し、その証として朱印をいただいてきた。私と知り合う前に、私の生家のお寺も訪ねてきたこともあるらしい。インターホンを押して「ご朱印をお願いしたいのですが」と言うと、母が和室に迎え入れてお茶を出してもてなしてくれた。その心遣いが嬉しかったそうだ。

 生家のお寺は浄土宗の開祖法然上人が晩年に讃岐の国に配流される道中に立ち寄った跡地に建つ。そのことが由縁となって、法然上人霊場のひとつになっている。しかし、メジャーな霊場ではないので、めったに参拝客は来ない。母からすれば、わざわざ訪ねてくれた熱心な若者の想いに応えて、もてなしたのだろう。

 いまでは全国のご朱印を網羅的に集めたサイトも存在するが、インターネット普及以前は情報の入手経路は限定的だった。名の通った観音霊場などをのぞけば、ご朱印がもらえる霊場を知る情報源は、各宗派が信仰涵養を目的して発行しているガイドブックぐらいだった。ご朱印集めは、仏道修行とでもいうべき重たい宗教的営みだったのである。彼は「ご朱印帖を差し出すとき、気恥ずかしかった」「周りはお年寄りばかり。『若いのに偉いねぇ』と何度声をかけられたことか」とブーム以前の風景を懐かしく語る。


SNSに映えるご朱印



 インターネットのおかげで、ご朱印がもらえるお寺の一覧が簡単に取得できることに加え、SNS上でご朱印の画像が紹介されると、ご朱印は一気に身近なものになった。

 SNSの普及の背景にあるのは、友人に「いいね!」を押してほしいという承認欲求だろう。お寺をめぐり歩いて作りあげていく自分だけのご朱印帳は、特別感があるうえにビジュアル的にも美しく、「いいね!」してもらうネタにちょうどいい。さらには、お寺めぐりをすること自体が、自分自身の存在を神仏に「いいね!」と承認してもらうものでもあるから、SNS全盛の時代にご朱印がフィットするのは当然といえる。

 お寺によっては、このご朱印ブームに乗じて、限定朱印を用意して参拝の機運を高めたりもしている。だが、あまりにポップ化したことの弊害もある。ご本尊に手を合わせることもなく、朱印だけもらって満足する人も後を絶たない。さらには、参拝の証として書いてもらったご朱印が、ネット上で「超激レアご朱印」などと銘打たれて取引されている。こうなるともうご朱印は単なる商品でしかない。


ご朱印から仏教に出会う



 私が住職をつとめるお寺は、長らくご朱印を提供していなかった。それでも、「あわよくば」という期待があるのだろう。ときどき「ご朱印をいただきたいのですが」とご朱印ガールがやってくる。マニュアル通り「ご朱印は用意してないんです」と答えるのだが、そのたびにがっかりして肩を落とされる。朱印を提供しないことで、かえってお参りの人を落胆させることになっていて心が痛む。

 また、ご朱印を求めているのは“ガール”だけではない。去る6月3日にお寺の本堂でアイドルフェスが行われたのだが、その折には何名ものアイドルヲタクが「朱印いただけませんか」と朱印帳を差し出してきた。かばんのなかに朱印帳を潜ませていたヲタクは他にもいたらしい。参加者全体の1割~2割はご朱印帳を持ってきていたと思う。お寺にお参りするときには、数珠とご朱印帳を持っていく、というのがひとつのマナーとして定着してきていると思う。

 このような時代の流れを無視するわけにいかないので、イベントがある日だけはご朱印を提供することにした。せっかく書くならユニークなものをと願い、通常ご朱印の墨書は、日付、お寺にゆかりの一言、寺院名ぐらいだが、一期一会の出会いに感謝して、イベント名と住職名まで書いた。ささやかな工夫だが、これが大変喜ばれた。ご朱印をいただくという行為によって、お寺に来た時間がよりエモいものになったのだろう。


仏教を再び暮らしの中に



 特にここ1、2年は、ご朱印熱を一過性のブームに終わらせることなく、再び仏教を日常のなかに浸透させていく手掛かりにしたいという相談をよく受ける。向こう数年ぐらいのあいだに、さまざまなグッズが開発されたり、独創的な参拝のガイダンスが提供されたりすることは間違いない。

 残念ながら、いまはまだその詳細を明かせないが、参拝のガイダンスが向かうべき方向について示唆を与えるものは、「まいまい京都」の成功例だろう。まいまい京都は、「地元の人が地元を案内する」というスタイルを取っている。定員15~20名の小規模なツアーで、ガイドさんと近しい距離感で京都を知ってもらう仕組みだ。8月にはいかにもお盆の時期らしい「六道まいり」など全25コースが開催される。ほとんどが申込定員に達するほど人気である。

 私も6年前にガイド役を担当したことがある。そのときは京都市東山区の知恩院が建つあたりを散策した。知恩院での修行時代のことやお坊さんの日常の話などをしながら、2時間を一緒に過ごした。他の観光ガイドの案内では味わえないディープなひと時を提供できたと自負している。

 まいまい京都のようなサービスは、今後もっと増えるだろう。お寺めぐりがオーダーメイドできたりするようになる時代も遠くないのかもしれない。有名寺院を訪ねてご朱印をもらってSNSに投稿するだけでも楽しいのだから、自分だけに用意されたお寺体験が味わえるなら、かけがえのない価値を持つものになるだろう――そのような未来を私は夢見ている。


池口 龍法氏
池口 龍法氏

【著者】池口 龍法
1980年兵庫県生まれ。兵庫教区伊丹組西明寺に生まれ育ち、京都大学、同大学院ではインドおよびチベットの仏教学を研究。大学院中退後、2005年4月より知恩院に奉職し、現在は編集主幹をつとめる。2009年8月に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させて代表に就任し、フリーマガジンの発行など仏教と出合う縁の創出に取り組む(~2015年3月)。2014年6月より京都教区大宮組龍岸寺住職。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)、寄稿には京都新聞への連載(全50回)、キリスト新聞への連載(2017年7月~)など。
■龍岸寺ホームページ http://ryuganji.jp
■Twitter https://twitter.com/senrenja
《池口 龍法》
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