アーカイブス「老舗旅館を立て直した“ITのおもてなし”」 | RBB TODAY

アーカイブス「老舗旅館を立て直した“ITのおもてなし”」

ビジネス 経営

「元湯陣屋」ではスマホやタブレットで、顧客情報の管理、スタッフ間の情報伝達を行う
  • 「元湯陣屋」ではスマホやタブレットで、顧客情報の管理、スタッフ間の情報伝達を行う
  • 帯の中からタブレットを取り出す仲居
  • 調理場でも顧客情報が共有されている
  • 元湯陣屋の宮崎富夫氏
  • 鶴巻温泉の老舗旅館「元湯陣屋」
「HJHJアーカイブス」では、年末年始にもう一度振り返りたい記事を、過去の記録からピックアップしてお届けします。最後の回は、破たんしかけた経営を立て直しその売り上げを6年間で6割向上させた、神奈川県鶴巻温泉にある老舗温泉旅館の物語です。

 急増するインバウンドと、来たる東京オリンピックにむけて、2016年には各地で宿泊施設の建設が相次ぎました。訪日観光客が体験したいものの一つに、日本ならではのおもてなしがあります。旅館であれば仲居が宿泊客につき、好みや必要としている情報を聞き出すことで、よりきめ細やかな接客を行っているわけです。そこにITを取り入れることで、スタッフを従来の半分に減らしながらも、サービス品質を向上させることに成功したのが「元湯陣屋」です。海外の富裕層の心もつかんだ、その接客の裏側にあるオペレーションの改革を、HANJO HANJOが解き明かしました。(15年9月3日の記事)

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【地方発ヒット商品の裏側】破綻しかけた老舗旅館を立て直す、IT化が生んだ“おもてなし”の新たな形

 リーマンショックで致命的に傾いた経営。その売り上げをわずか6年間で6割向上させた老舗旅館がある。神奈川県鶴巻温泉に2件残された温泉旅館のひとつ「元湯陣屋」。創業は大正7年。元々は三井財閥が接待の場に使っていた別荘だった。

 ただ、旅館の経営悪化はその数年だけの話ではなかった。そもそも初代のオーナーが本業としていたのは部品の製造業。旅館はそのお客をもてなすために購入したもので、利益については二の次だった。そのため一時は借入金が売り上げの3倍に及んだ時期もあったという。

 しかし、当時のオーナーが病没すると、間もなくリーマンショックによって本業としている製造業の株価も急落。元々が破たん寸前だった旅館は、一気に倒産の際まで追い込まれる。元湯陣屋はどうすれば生き残れるのか。その経営判断は前オーナーの息子だった、宮崎富夫氏(※崎の字は正式には旧字体)の手に委ねられる。

■ホンダのエンジニア視点で旅館を改革する

 経営を引き継ぐことになる前、宮崎氏は本田技術研究所に勤めていた。その基礎研究部門などにエンジニアとして8年間所属。もちろん、旅館の経営については全くの素人だった。

 しかし、会社員という視点から旅館を見ると、サービスを改善する余地は十分にあると思われた。中でも一番の問題だったのが、顧客満足度を向上させるための取り組み。顧客からのリクエスト、または何かのトラブルがあった際に、その連絡が旅館内で十分に共有されていなかった。

 一方で、経理に目を向けてみると、こちらでは大雑把な粗利の計算が目に付いた。例えば、1泊2食で1万円の宿泊客が来た場合、その内のいくらを料理に割くというのが明確に決まっていない。経費や原価率はその時々でバラバラで、それをPDCAのサイクルに落とし込むどころか、元になる情報もわからないような状況だった。

「売り上げが少ないから、設備投資もままならない。だから、宿泊料を下げないとお客が来ない。当時はそんな負のスパイラルに陥っていました。では、お金のかからない所から何を改善できるかと考えたとき、思いついたのがバッググラウンドのIT化だったんです」

 元々がホンダのエンジニアだった宮崎氏。そんな自分が旅館業に携わるなら、得意としている分野で勝負するしかない。さっそく、導入すべきシステムを当たってみたが、思いのほかに陣屋にマッチするものはなかった。

 当時の情報管理システムを見渡してみると、宿泊業をターゲットとしたものの多くはホテルを対象としたもの。料理と部屋を同時に提供する旅館との間には、提供する機能などにズレがあった。何よりも、大手のホテルが利用しているようなサービスでは、導入に数千万円のコストがかかる。これでは、とても陣屋では使えない。

「さらに、一番の問題と感じたのが、システムの開発にスピード感が無いことです。仕様変更を発注しても、その開発に何日もかかってしまう。多額のコストをかけてシステムを作っても、現場が使いづらいこともあるわけじゃないですか。それを、その場で改善して、明日から現場で使えるような仕組みが欲しかったんです」

 それならばと、宮崎氏は自らシステムを開発することを思いつく。きっかけになったのは、陣屋の求職に応募してきたあるスタッフ。経歴を見ると、以前にエンジニアをしていた過去があった。

 こうして、陣屋はエンジニアを内部に抱え、システムを自社開発する道を歩み出す。旅館の業績をいち早く改善するために、残された時間も限られた中での挑戦だった。


■旅館のIT化に立ちはだかる紙との戦い

 宮崎氏が当時ITの導入によって実現しようとしていたのは、先にも挙げられた顧客満足度の向上と経費の削減だった。このうち、顧客満足度について、旅館としてはおもてなしのサービス向上で実現したい。必要となるのは宿泊客の情報を集め、それを共有できるシステムだった。

 そもそも、旅館では宿泊客に付いた仲居が、その好みや必要としている情報を聞き出すことも仕事としている。それを元にしたきめ細やかなおもてなしが、サービスの質向上につながっていた。

 つまり、目指すべきは仲居をはじめとしたスタッフが登録した情報を、旅館全体が即座に共有できるシステム。しかも、入力や閲覧をカンタンにするには、クラウド化してスマホやタブレットで使える仕組みが必要だった。そこには、もちろん顧客管理のデータベースとしての機能もあり、予約が入った時点で、それがリピーターなのかを判断。以前の記録やアンケートなどの情報を収集し、それを元にした接客を行うことも求められた。

 これらの理想像を元に、宮崎氏はさっそくシステムを開発。それを、旅館内で利用するようにスタッフに指示する。しかし、その運用は当初から順調にとはいかなかった。スタッフのうち実際にシステムを使っていたのは、フロントを中心としたわずか十数名。残りの70人近くはほとんどシステムで共有された情報を見ようとしない。結局はフロントがシステムの情報を元に紙やメモを用意して、それで館内の連絡を行うことも多かった。

 そのため、当初は紙のメモとの戦いだったと、宮崎は当時を振り返って話している。もし使われているのを見たら、今のシステムでは伝達できないかを確認し、そこは一切妥協せずに止めさせる。さらに、システムの使い方については、ITリテラシーの高い人間を捕まえて徹底的に教え込み、他のスタッフは彼に相談する仕組みを作った。

 それでも、例えば70歳の掃除のスタッフをシステムに誘導するには、それなりの動機づけが必要となる。そう考えた宮崎氏は、まずシステムに勤怠管理の機能を搭載した。これで出社と退社、少なくとも2回はシステムを利用することになる。さらに、SNSやチャットなどの機能を率先して使っているスタッフを見つけては、それを褒めるように声をかけたり、時にはお歳暮やお中元でもらった品を手渡すこともあった。

 こうして、宮崎氏が熱心に普及を促したこともあって、やがてシステムの利用は旅館全体へと広がっていく。すると、従業員にとっても目に見えた負担の軽減をもたらした。今まで毎日行っていたミーティングや、メモや電話で情報連絡をする手間がなくなり、空いた時間を接客に使えるようになった。

 一方、経費削減では情報管理をクラウド化したことで、収支を毎日の仕入れベース、納品ベースでチェックできるようになる。その上で、売り上げと原価を照らし合わせ、不自然な点があれば宮崎氏が即座に現場に指示を出す。PDCAサイクルを速度重視で回せるようになり、ようやく経営の改善を進める準備が整った。

■富裕層の目に留まる最上級のおもてなし

 バックボーンのIT化を進める一方で、宮崎氏は陣屋の経営を改善するために新たなプランを計画していた。新宿から電車一本という好立地を活かし、以前から結納の顔合わせに使われていた鶴巻温泉。これを一歩進めて、ブライダルの需要をつかめないか、と。

 結婚式の会場として選ばれるには、新郎新婦にとっての憧れの宿である必要がある。そう考えた宮崎氏は、おもてなしによる顧客満足度だけでなく、旅館全体のグレードアップに着手する。キーになったのは、かつて黒田藩主が明治天皇をお泊めするために使用した「松風の間」。普段は将棋の対局など限られた用途に制限していたこの部屋を、最上級のお客様をお招きする場として広く一般に開放した。

 松風の間を宿泊に利用するにあたり、旅館ではあらゆるサービスに最高の水準を追求した。効率化を重視して取りやめていた部屋食も、この部屋にだけはきちんとお出しする。もちろん、その内容についても、贅を尽くしたものを用意した。このために、宮崎氏は月に1回、チャレンジ試食会を実施。当時の料理長に原価を気にせず、その時にできる最上級の料理を作らせる。そこで作られたメニューは、松風の間だけでなく、ほかの宿泊客により上質な料理をお出しするための下地になっていった。

 その一方で、松風の間では仲居についても専属のスタッフを用意し、お迎えから見送りまでを担当させる。それは、旅館にとってまさに理想とすべき接客だった。効率化を考えれば、どうしても仲居をエリアに分けて配置せざるを得ない。しかし、一部屋だけなら客が宿にいる間は、そこに専属させるようなオペレーションも実現できた。

「もちろん、イレギュラーな体制を敷くことは、スタッフにとって負担になったと思います。しかし、松風の間は陣屋の実験室なんだと。ここでおもてなしのレベルを上げることに挑戦して、我々の接客を磨くのだと説明して、現場の理解を得ることができました」

 こうして磨かれたおもてなしは、やがて旅館全体へと広がっていった。それに伴い陣屋では、部屋単価を徐々に向上させていく。松風の間で関心を引いた富裕層を取り込み、さらに当初の構想にあったブライダル需要も右肩上がりで増えていった。

 6年前、陣屋には120人の従業員が勤めており、そこにかかっていた人件費はおよそ1億3000万円。売り上げは約2億9000万円だった。しかし、現在では業務が効率化したこともあって、スタッフは従来の半分まで削減。その分だけ給料をアップさせて、より有能な人材を集めることに成功している。さらに、富裕層やブライダルの需要が増えたこともあって、売り上げは4億6000万円まで向上した。


■陣屋のオペレーションが新たなビジネスに

 旅館の経営を改善していく中で、IT化を進めたバックグラウンドのシステムも、その使いやすさを進化させていた。その運用を見た同業者に「凄いことをやってるね」と声をかけられたことで、宮崎氏はこれを商品として売り出せないかと考える。

 こうして、ホテル・旅館情報管理システム「陣屋コネクト」は、そのサービスをスタートさせた。最初のお客になってくれたのは、全部で4軒の旅館とホテル。そこにエンジニアを派遣しながら、自らも現場を回って使い方のアドバイスなどを行った。

「実はこの頃、陣屋でのシステムの開発がひと段落して、改善要求などがほぼ出尽くした状態だったんです。それでは成長がありませんので、ほかの旅館の意見やオペレーションを吸収するという意味でも、これは必要な取り組みでした」

 それから約1年間で、陣屋コネクトはさらなる開発を進めていく。しかし、それは同時に開発体制の限界を感じさせる1年でもあった。元々エンジニアが1人の体制から始めたプロジェクト。顧客からの要求に対応するだけで手いっぱいで、これ以上に規模を広げることはとてもできそうになかった。

 そこで、宮崎氏は柔軟なカスタマイズ性を用意した上で、人にシステムを合わせるのではなく、システムに人を合わせる業態にサービスをスイッチさせる。かつて旅館の経営を立て直した陣屋コネクト。そのオペレーションをセットで提供するという形で、サービスの業態を変化させた。その上で、経営改革のサポートを宮崎氏が提供する。このために宮崎氏はキャンピングカーを走らせて、営業もかねて全国の旅館を回ったという。

「ただし、コンサルタントという業態にはしたくなかったので、陣屋コネクトを利用して頂いたお客様には、サポート料という形でサービスの使用料を頂いています。そこで、要求のあった案件については、期限などは確約できませんが順次対応して、システムの利用者全体で共有していく。これにより継続的に陣屋コネクトを発展させ、顧客とのお付き合いを続けられる体制が作れました」

 現在、陣屋コネクトでは約150件の顧客にサービスを提供している。それに伴い、宮崎氏がITセミナーなどで事例を紹介するケースも増え、そのことが陣屋の名を世に広めるために一役を担っているようだ。

■旅館のIT化で新たなおもてなしを生み出す

 バックグラウンドをIT化するとなると、コストや従業員の反発、教育の手間など様々な障害が予想されるだろう。しかし、陣屋ではその改革に成功し、それが陣屋コネクトという形で他の旅館やホテルにも広まっている。将来的にはサービスを通じて、新しい形の旅館組合を作れないかという計画も上がっているようだ。

「仕事のやり方を変えると、やることが増えたと感じて、それを嫌う人が出てくるわけです。なので、一番大事なのは経営者の覚悟で、スタッフにルールと教育を徹底させること。反対意見があっても引き下がることなく踏みとどまれるか、そこが陣屋コネクトの普及を見ても分かれ目になっていると思います」

 陣屋では現在IoTにも力を入れているという。駐車場の入口にカメラを設置して、車のナンバーから来客を把握。ドアを開けたタイミングで「○○様」と話しかけられるようにする。他にも、客室のドアの開閉をチェックできれば、レストランで来客をタイミングよくお出迎えすることも可能に。大浴場への人の出入りをカウントすれば、清掃のタイミングを効率化することもできるだろう。

 老舗旅館とIT。この一見するとミスマッチに思える組み合わせが、日本のおもてなしの新たな形を生み出そうとしている。

HJHJアーカイブス:07「老舗旅館を立て直した“ITのおもてなし”」

《HANJO HANJO編集部》

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