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【浅羽としやのICT徒然】第3回 マウスの発明者・ダグラス・エンゲルバート氏が死去

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 NLSは、マウスだけではなく、ビットマップディスプレイとマルチウィンドウシステムも持ち、さらに、それらを用いてハイパーテキストで表現された文章の操作も行えるものでした。これらのインターフェースデバイスが現在のスマートフォンやiPadのようなタブレットにも繋がっているのだと思うと、エンゲルバート氏の業績の偉大さが理解できるのではないでしょうか。

 しかし、エンゲルバート氏の偉大さはそれだけではありません。氏がこれらのアイデアをNLSで実現したものを世の中に広く公表したのは、1968年のことでしたが、この時の氏のプレゼンテーションは、「全てのデモの母」と呼ばれ、伝説的なものになっています。それは、この時初めて、リアルタイムにマウス(当時は木製です!)と簡易なキーボードを操作してコンピュータ画面上でカーソルを動かして対話的に操作しながら、画面に新たなウィンドウを開いてデータを呼び出したり、それを消したり、何かの項目をマウスで選択してメニューのようなものを開いて、他のデータに移ったり、また戻ったりするという操作を映像として見せる、という今では普通に行われているスタイルでのデモだったからです。さらに、会場と離れた研究所とを無線で繋ぎ、研究所の所員とコンピュータの画面上で対話するデモも含まれていたそうです。デモには、一部、ズルもあった(エンゲルバート氏が一人で操作しているように見せながら、実際には沢山の研究所員が裏で必死でNLSを操作していた)ようですが、それでも聴衆に未来の人とコンピュータとの知的共同作業のイメージをしっかりと植え付けた、画期的なものであった事は間違いありません。このプレゼンを会場で見ていたアラン・ケイは、後にパーソナルコンピュータの原型モデルとなる「ダイナブック」を構想し、その実証のために、上記のAltoシステムの開発を手がけたのです。

 このように、エンゲルバート氏は人類で初めてコンピュータと人間が対話しながら知的共同作業を行う方法を考察し、それを実現し、そして伝説的なプレゼンテーションを通じて、そのアイデアを世の中の多くの研究者に広め、影響を与えたのです。ICTに関わる人間として、氏の偉大な功績に感謝をするとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

■筆者:浅羽としや/IIJで、1エンジニアとしてバックボーンNWの構築や経路制御などを担当し、CWCで、技術担当役員として広域LANサービスの企画・開発に従事。現在、ストラトスフィアで、社長としてSDNの基盤ソフトウェアのビジネスを推進中。
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