【新連載・楽しい100人】「あんこがつなぐ人との出会い」計算物理学者・中村純氏 | RBB TODAY
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【新連載・楽しい100人】「あんこがつなぐ人との出会い」計算物理学者・中村純氏

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計算物理学者・中村純氏
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 地域で活躍している人に焦点を当ててスピーチを行ってもらうイベントが札幌と広島で定期的に開催されている。広島は「広島の楽しい100人」、札幌は「北海道の楽しい100人」として毎回4名が登壇する。この連載では、ここのイベントに登場した人たちの講演を取材・紹介する。

 第4回「広島の楽しい100人」登壇者、中村純(あつし)さんは、広島大学 情報教育研究センターの教授。計算物理学の分野ではハイパフォーマンスコンピューティングの著名な賞 ゴードン・ベル賞の受賞歴もあるなど世界的に高名な計算物理学者である。聞くだけで難しそうな分野の間違いなくすごい大先生―ところが広島大学では「あんこ先生」と言う呼び名で親しまれ、ファンも多いとの噂。当日会場に現れたのは、おだやかな声でにこやかにお話される中村先生だった。

「広島大学 あんこ研究会から参りました、中村と申します。」

そう茶目っ気たっぷりに話を始めた中村先生は、曰く「ほんのできごころで」ドイツを中心にスイスやイタリアで10年教鞭をとっていた。そこで当時はまだ日本では知られていなかった楽器パンフルートに出会い演奏を学ぶなどヨーロッパ暮らしを満喫していた先生だが、日本のあんこが懐かしく、1997年に帰広したときには広島銘菓の老舗パロア製菓の饅頭を心ゆくまで食べたそうだ。

 さてそんなある日勤務先に橋本清次さんという人が訪ねてくる。被爆者の橋本さんは、社会貢献としてパレスチナの子供たちにピアノを寄贈する運動を行っていた。切り倒されたオリーブの木でピアノとともにパンフルートも作ったことから、当時ほとんど演奏できる人がいなかったこの楽器を中村先生が吹くことになる。普通は竹で作られることが多いが、木をくりぬいただけのシンプルな構造のためオリーブの木でも作ることができた。CDを作り、その売り上げを寄贈するために中村先生はパレスチナに渡った。

「パレスチナとイスラエルを分断する壁があるんですが、その前に立ってパンフルートを演奏してくださいというので、銃を構えた兵士のいる前で演奏をしてきました。後から聞いたら壁の後ろの注意書きには、この壁に触ったものは射殺する、と書いてあった。」

中村先生は笑って言う。

「パンフルートとあんこ、なんのつながりがあるんだろうと思うでしょう。実はこの橋本清次さんが、偶然にもパロア製菓の社長さんだったんです。」

ところが跡継ぎがいなかったため、パロア製菓は惜しまれつつも2009年に店をたたむことになる。

「工場が閉鎖するときに、数十キロあんこが余ったと聞き、ください!と手を挙げた。でもさすがにそんなにあんこを食べると体に良くない。そこで広島大学で周りにいた人の中で、あんこ好きを募りました。それが広島大学あんこ研究会の始まりです。」

Facebookグループもあるあんこ研究会、皆でその時手に入ったおいしいあんこを食べ比べたり広島の甘味を食べ比べたりと、おいしい活動を続けている。 

「実は全国で4万ライセンスを売っている『情報倫理ビデオ』の中にもこっそりあんこ研究会の入部説明ポスターを出しています。あんこを潜在意識にすりこむような策もとっています。」

と、いたずら心もたっぷりの中村先生。

「奈良の薬師寺の天武忌でパンフルートを演奏に出かけたこともあります。奈良に行くことはとても大事で、奈良にはお饅頭の神様「林浄因命」を祭る林神社や、お菓子の神様「田道間守命(たじまもりのみこと)を祭る神社もあり、お参りをすればきっとまたおいしいものに巡り合えるだろう、とお参りをしてきました。お菓子は昔から食べられているものなんです」

 実は中村先生、登壇依頼を引き受けるにあたり「あんこに関しては何の研究業績もないから」と、もみじ饅頭の老舗にしき堂に勉強に行ってきたという。最近では普通のもみじ饅頭より生モミジと呼ばれるもののほうが売れ行きは良いものの、それを受けて通常のもみじ饅頭も改良を続けているらしい。アレルギーのある人向けに卵無しで作ったものなど現在はさまざまなもみじ饅頭が作られているそうだ。

 中村先生は最後をこう締めくくった。

「あんこ研究会を続けてわかったことは、一番おいしいのは家で作ったあんこ、ということでした。日本のあんこ文化を継承していくのは、子供の時に家でぐつぐつ小豆が煮えていたのを食べたという、記憶です。みなさんお家で小豆を煮てあんこを作ってみてください。失敗してもいい、やっていくうちにわかるし、作れるようになるんです。日曜日に目を覚ましたら小豆が煮えていて、それを家族で食べる。それができれば、日本の小豆文化は継承されていくんです。」

※中村先生は3月31日に広島大学を退職した。
《築島 渉》
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