【仏教とIT】第3回 AIを超える仏教のクリエイティビティ!インドのお坊さんの離れ業 | RBB TODAY

【仏教とIT】第3回 AIを超える仏教のクリエイティビティ!インドのお坊さんの離れ業

仏教が誕生した約二千五百年前というのは、ハードディスクはおろか、紙などの記憶媒体もない時代である。初期の仏教は、ひたすら人間の脳の記憶によって伝承されてきた。

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ハードディスク VS 人間の記憶力


 “記憶の正確さ”ということに関していうと、私たちの脳は、ハードディスクなどのストレージの足元にも及ばない。現代人の生活は、この外部記憶装置に助けられて成り立っている。しかし、仏教が誕生した約二千五百年前というのは、ハードディスクはおろか、紙などの記憶媒体もない時代である。初期の仏教は、ひたすら人間の脳の記憶によって伝承されてきた。

 お釈迦さまは、35歳でさとりを開いてから、80歳で入滅するまで各地をめぐって教えを説いた。生前にはその教えがまとめられることはなかったから、死後4ヵ月が経ったとき、ラージャグリハに五百人の弟子たちが集まり、亡き師から聞いた教えを確認し合った。これを第一結集(けつじゅう)という。今日的な表現でいえば、五百人の脳内に書き込むことで冗長化をはかり、データの保全を期したというところだろう。

 仏教教団という大きな組織体を維持していくのに、その根幹となる教えや規律を口承によってのみ語り継いでいくというのは、いかにも不完全な仕組みだと思われるかもしれない。しかし、昔のインド人の記憶力は私たちの想像をはるかに超えて精度が高く、各地方に伝承された規律は重要な部分がおよそ一致する。

 また、現存する最古の経典は「スッタニパータ」とされ、特に韻文で書かれたところが古いとされる。韻文は、その性質上、一字一句変えることが難しいからである。お釈迦さまが語られた言葉はおそらく散文だったはずだが、死後いくばくも経たないうちに、詩的才能のある弟子が韻文のかたちにまとめ、伝承しやすくした。「スッタニパータ」の韻文部分に関しては、お釈迦さまの死後数十年ぐらいの時期の言葉をとどめていると想定される。

仏典データベースは改竄歓迎!?


 このように、弟子たちは正確に伝承する記憶力を持ち合わせていた一方で、時代の変化に柔軟に順応することも忘れなかった。「お釈迦さまがいま生きていたら……」「お釈迦さまの真意は……」という想像のもとに、仏典を誰の断りもなく加筆修正し、また新たに創作した。日本で信仰されている大乗仏典は、いずれもお釈迦さまの言葉として語られているが、死後数百年を経て成立したものである。

 私たちの認識としては、ハードディスクに記録されたデータは、何年経っても変わらない。データを運用する人間の思考が、時代によって変化するだけである。客観的なものとしてのデータと、主観的な存在としての人間は、その役割がはっきりと区別される。客観的なデータを主観によって勝手に書き換えるのは基本的にタブーであり、悪質な場合にはデータ改竄として非難の対象になる。

 ところが、インド仏教の世界ではこの常識が通用しない。最古の経典「スッタニパータ」はお釈迦さまの言葉をある程度伝えているかもしれないが、少し時代がくだって成立した経典になると、もうどこまでがお釈迦さまの本当の言葉かわからない。

 仏教イコール釈迦本人の言葉だと信奉する原理主義者の眼には、これが改竄だと映るようである。しかし、本当に改竄と呼ぶべきものだったとすれば、経典は悪意に満ちたものになり、仏教は教団として破たんしていただろう。

AI顔負けのディープラーニング!? インドのお坊さんたちの離れ業


 昔のインドのお坊さんたちは、精度の高い脳内記憶領域に仏典をインプットしていたからこそ、アウトプットする際には言葉を選び直すことができたのだろう。データの持つ客観性と、人間の持つ主観性を兼ね備えていた彼らゆえの離れ業である。

 だから、無数の人々によって、仏典が繰り返し加筆修正が施されたにもかかわらず、仏典は全体として仏教の輪郭をとどめている。そう考えると、インド仏教の歴史というのは、最先端のAIも顔負けの、極めて知的レベルの高い宗教的創造活動だったと思うのである。また、彼らの手法は、過去のデータにとらわれて創造力を失いがちな現代人に、示唆を投げかけるものでもあるだろう。

仏典書写に見るコピペ以上のなにか


 インドでは人間の記憶力によって伝承がなされたが、中国では一転して筆記して残す手法がとられた。また、膨大な仏典を体系的に把握するために、インデックスを作成する努力もなされた。その最古のものは中国東晋時代の「綜理衆経目録(そうりしゅうきょうもくろく)」である。このような手法は、インド仏教の口承の伝統よりも、私たちに親しみやすい。

 日本では、日本書紀に天武元年(673)に「書生を聚(あつ)めて始めて一切経を川原寺に写す」とあるのが、国家レベルでの仏典書写の起源とされる。一切経とはあらゆる仏典をおさめたデータベースであり、仏教が伝来した各国で集成されてきた。最近のものでは、「大正新脩大蔵経」という日本製の仏典データベースがある。これは大正13年(1924)から昭和9年(1934)まで10年もの歳月をかけて編纂されたもので、「広辞苑」や「六法全書」のような分厚い冊子が、全百冊で構成されている。途方もない分量である。

 こうして見ると、ハードディスクなどのストレージがない時代には、仏典データベースを正確に伝承し、また多くの仏教徒の手元に拡散させていくために、多くの碩学の叡智が結集されてきた。コピペが不可能だった時代だからとはいえ、時間を惜しまずに人力でその作業を果たしてきたのは、人智を超えたなにかへの崇敬の念があってのことだろう。

 また、日本では平安時代ぐらいから、経典を書写することは大きな功徳があるとして、病気平癒や先祖供養のために写経が実践されてきた。つまり、経典を写すという行為自体が、単なるコピペとは違って、宗教的価値を持つものだとされてきた。

 とはいえ、IT以前の美しい風景に浸っていても仕方ない。IT技術は仏典の取り扱いをいかに変革するのか。これについては次回のコラムで書くつもりである。

池口 龍法氏
池口 龍法氏

【著者】池口 龍法
1980年兵庫県生まれ。兵庫教区伊丹組西明寺に生まれ育ち、京都大学、同大学院ではインドおよびチベットの仏教学を研究。大学院中退後、2005年4月より知恩院に奉職し、現在は編集主幹をつとめる。2009年8月に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させて代表に就任し、フリーマガジンの発行など仏教と出合う縁の創出に取り組む(~2015年3月)。2014年6月より京都教区大宮組龍岸寺住職。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)、寄稿には京都新聞への連載(全50回)、キリスト新聞への連載(2017年7月~)など。
■龍岸寺ホームページ http://ryuganji.jp
■Twitter https://twitter.com/senrenja
《池口 龍法》

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