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100年後にゲームを伝えるには……シンポジウム

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ゲーム保存国際カンファレンス
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  • 100年後にゲームを伝えるには・・・日米英キーマンによるシンポジウムをレポート
  • 中村彰憲教授 細井浩一教授
  • ヘンリー・ローウッド博士 ジェームス・ニューマン教授
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京都市嵐山の時雨殿にてゲーム保存国際カンファレンスが開催され、日米英のキーマンによるシンポジウムが行われました。

このカンファレンス「ゲーム保存国際カンファレンス:ビデオゲーム~保存?忘却?世界はどう考えているか~」では、産学官の協調関係を前提に、ビデオゲームやその文化の保存についてこれまで積極的に取り組んできた米英のキーマンを招いて、国内において文化庁の「平成24年度メディア芸術デジタルアーカイブ事業」に採択された、立命館大学ゲーム研究センター、RCGSにおけるゲームアーカイブの取り組みをあわせて紹介しながら、「ビデオゲームやそれらを取り巻く文化」の保存に関し、改めてその社会文化的意義について国際的な視野を織り込みつつ考えるとともに、それらが地域活性化にもたらす可能性についてを題材にプレゼンテーションやシンポジウムが行われました。今回はそのシンポジウムについてレポートしていきたいと思います。

シンポジストとして参加したのは、先にプレゼンテーションを行った米国スタンフォード大学のヘンリー・ローウッド博士、英国バーススパ大学のジェームス・ニューマン教授、立命館大学映像学部教授の細井浩一教授の3名に加えて、モデレーターとして立命館大学の中村彰憲教授を招いた4人で行われました。中村教授は立命館大学映像学部教授で名古屋大学国際開発研究科後期課程修了、早稲田大学アジア太平洋研究センター、立命館大学政策科学部を経て現職。日本デジタルゲーム学会(DiGRA JAPAN)副会長や太秦戦国祭り実行委員長などに就任されています。

シンポジウムではまず初めに「ゲームの原体験」について語られ、ジェームス教授はプレゼン中に語られたゲームウォッチの「パラシュート」を挙げられました。ヘンリー博士はスポーツゲーもたくさんやったが、最初にやったのはおそらくボードゲームであるとされ、歴史にも興味があるので歴史物のボードゲームをたくさんプレイしたとのこと。さらにそれがコンピュータゲーム化したものがおそらく始めであると語られていました。細井教授は任天堂のファミリーコンピュータ発売時は既に大学生であったのであまりプレイはしなかったと言いますが、自身のゲーム原体験については「潜水艦ゲーム」を挙げられ、これがゲームの面白さに気付かされた最初のものであったとコメント。

続いての議題は「ゲームにアカデミックな意義を見出した瞬間は」というもので、ジェームス教授は当時ゲームに関する書物などを読んだとき著者と自分の考えに相違があり、「これを書いた人達は本当にこのゲームをプレイしたいるのだろうか」とフラストレーションが溜まり実際に自分が書くことにしたというのがきっかけであったそうです。また、英国には社会問題が起こるとたびたびゲームに結びつけてこれを有害であるとする風潮があったためそれを打破したいとも考えられていたそうです。

細井教授は、同じメディアでもゲームとテレビや映画といった映像メディアとは全然違うということに興味を持ったとのこと。ユーザーのアクションが画面の中に反映されるインタラクティブなところにアカデミック性を見出したとされ、これは映画やテレビとは違った視点で研究されるべきだと語られていました。

それぞれに別々の間口からゲームというものを研究対象としながらも彼らの結論は「ゲームは保存されるべきだ」という点に行き着いていることは大変興味深いことだとモデレーターの中村教授はコメントされていました。

「業界行政とのコラボレーションはなぜ必要か」という点については、ヘンリー博士はゲーム保存という活動を進めていく場合はリソースが足りない、資金が足りないという問題に必ず直面するとし、そういった点においてのバックアップは必要不可欠であるとされていました。また、著作物をアーカイブしていくという以上は、著作権知的財産権という問題もあるし、ゲームを作った人をデベロッパーを無視してはプロジェクトは推進できないため、業界や行政との連携は不可欠であると述べられていました。

「公立図書館や大学におけるビデオゲームの所蔵状況は」という点では、現在所蔵されているタイトルは偶発的に善意で所蔵されたものがほとんどであるとし、今後はプログラム的に収集される必要があるとされていました。また、デベロッパーやメーカーから直接寄贈され、受け取っているものについては、レーティング前のバージョンであることがほとんどだという現状が語られました。これは問題であり、発売版と比べると大きく仕様変更されていることもあるので、実際に出版、販売されているバージョンを収集すべきであるとされていました。

最後に「100年後の理想形態」が3名に問いかけられ、細井教授は西洋においてはパトロネージュ、個人の自由文化、国家が文化を担保すべきであるというある意味矛盾し合う3つの考え方が存在しているが日本にはどれも存在しないとされ、これはおそらく100年後の日本人も変わっていないだろうと述べられ、問題について関心が持てる人達がゲームの保存について話し合える場を創出していくことが大切だと語られていました。

ジェームス教授は、ゲームの保存問題についてようやく歩み出した私達が現在取る戦略によって100年後の姿は大きく変わっているだろうとコメント、今している活動やプロジェクトが誰のために行われているのかによって保存の仕方や特徴、戦略はかわってくるのだとされていました。

ヘンリー博士は「映画」と「自動車」を例にその筋の専門家や歴史家でも当時の車を運転したことがない人もいればサイレント映画なども生で見た事が人は少ないだろうとされ、これはゲームにおいても例外でないと言います。100年後の人達は、特定のゲームタイトルに関心をもつのではなく、ゲームというインタラクティブメディアの文化そのものに関心を持つだろうとされ、私達が今どのようにゲームをプレイしているのか、ゲームがどのように作られているかを100年後に伝えるのが最も大切であるとされていました。シンポジウムの締めくくりには、今私達がゲームで経験している事を100年後の人達にも同じように経験をして欲しい、私はそれを後世の人達に伝えていきたいと力強く語られていました。

100年後にゲームを伝えるには・・・日米英キーマンによるシンポジウムをレポート

《ひびき@INSIDE》
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