China Joyの面白さは常に発展し続けることにあります。04年1月に初めて開催された際は1月に、しかも北京で開催されるといった形でのスタート。出展する側も会場を訪れるのが業界関係者なのかユーザーなのか、というところも正直わからないかまま開催されていたというのが実情です。出展作品についても新作を披露するべきなのか否かというのも不透明といった状況でした。参加者層に対する情報も皆無でしたので当たり前と言えば当たり前でしょう。
同年は7月にも開催。ただし会場を北京から上海に移したことで現在のB to C 的なChina Joyが定着していきます。そこでの熱狂的なファンの様子は、各パブリッシャーの出展理由を「行政とのおつきあい」から「ユーザーの心をつかむ絶好の好機」であると即座に切り替えさせる事に成功しました。コミュニティを育成させることによるファン層の定着と拡大が、収益を上昇させるうえで重要なオンラインゲームサービスにとって自然な流れだったと言えるでしょう。この時からChina Joyはユーザーサービス主体のゲームショウであるとマーケットそのものによって定義づけられたのです。各オンラインゲームパブリッシャーによるオフ•イベントが同時期に同じ場所で開催されるという言い方が正しいでしょうか。
ただ主催者側は当初から、このままで終わらせるつもりはありませんでした。イベントを担当しているHowell International のShawn氏は当時からこのイベントを「ビジネスを進める上でのプラットフォームにしていきたい」と筆者に自身の思いを伝えていました。そしてそのビジョンを達成するべく、主催者側はそれに必要な「箱」を着々と整えていきました。まず、業界トップを集めた基調講演的な講演会は展示会場のカンファレンスルームなどを使用して第一回目から行ってきていました。行政からの意向が反映されていることもあり、業界の名だたる企業が名を連ねた会議は非常に圧巻なのですが、メディア報道は主に中国国内のみというのが実情でした。スクウェアエニックスなど日本企業のトップもこのカンファレンスではかつて講演しています。しかし、オンラインゲームパブリッシャー各社もそれぞれがプレスカンファレンスを開くようになるなど全てを1カ所で行うことで混乱も生まれてきていました。このような中、09年から、チャイナゲームデベロッパーカンファレンスを開催すると同時に、これらの業界トップのひとたちによるカンファレンスをチャイナゲームビジネスカンファレンスとして開催していったのです。会場も五星ホテルのカンファレンスルームへと移し、国内外の業界関係者が業界のトレンドや先端技術、ノウハウを共有できる場をつくり出しました。これにあわせるかのようにIGDA上海パーティも、チャプターコーディネーターであるゲリー•ミー氏を中心に開催され、現在は800人もの人たちが集まるほどに成長しています。そして冒頭でも述べたように、今年からはB toB専門会場がカンファレンスと連結される形で立ち上がったのです。これはすなわち、開発者レベルからビジネスレベルのひとたちが公式、非公式双方の形で交流できる場が形成されたことを意味します。
今年もパーティ会場で、Howell の担当Shawn氏と顔を合わせたとき、真っ先に聞いてきたのがB to B 会場のことについてでした。彼もよほど気にしていたのでしょう。ですが、同会場は出展者、参加者双方に対しかなり気を使っており、クーラーがしっかりきいている上に、一般ユーザーが誤ってB to B 側に来ないよう、あらゆる配慮がされていました。双方を行き来しなければならないメディアにとってはかなり面倒なことになりますがそれほど、B to Bでの交流を意識したということでしょう。
China Joyのイベントブース関連はそれ自体仕組みとして確立されてしまった部分もあり集客力もあるだけにその仕組みを組み立て直すのは確かに大変です。ですが、スマートフォンとタブレットPCの台頭により中国ゲームシーンのランドスケープも確実に変動しているのも事実。同時に沿岸地域においては生活水準も高まり娯楽にも多様性が生まれているということも認識する必要があります。これらをふまえ、先手、先手で手を打つ事が出来れば、中国がアジア最大のゲーム市場になり、各パブリッシャーや開発スタジオが国際的にもトップクラスの能力をその手にしたときにもその状況に恥じない程の権威と品格を有する事が出来るのではないかと思います。今後のChina Joyの更なる発展に期待ですね。