Jリーグでも活躍したユ・サンチョル氏らが、「Kリーグ名誉の殿堂」の殿堂入り者となった。
韓国プロサッカー連盟(以下、連盟)は7月1日、「Kリーグ名誉の殿堂」第2回殿堂入り者6人を発表した。
第2回「Kリーグ名誉の殿堂」では、選手部門でキム・ビョンジ氏、キム・ジュソン氏、デヤン・ダミヤノヴィッチ(デヤン)氏、ユ・サンチョル氏、指導者部門でキム・ホ氏、功労者部門でチョン・モンジュン氏が選ばれた。

選手部門:キム・ビョンジ氏
キム・ビョンジ氏は1992年に現代(ヒョンデ)ホランイ(現・蔚山HD FC)でデビューした後、24年間にわたりKリーグで活躍したレジェンドGKだ。カップ戦含めKリーグ通算708試合に出場し、229試合でクリーンシートを達成した。
同氏はGKでありながら現役時代に3ゴールを記録しており、「ゴールを決めるGK」の別名でも呼ばれた。また、蔚山(1996年、1998年)、浦項(ポハン)スティーラーズ(2005年)、FCソウル(2007年)所属でKリーグベストイレブンに4度選ばれている。
キム・ビョンジ氏は徹底した自己管理と強いメンタルをもとに長年Kリーグの舞台に立ち続け、ピッチ内外で韓国サッカーの象徴的存在とされている。

選手部門:キム・ジュソン氏
キム・ジュソン氏は1987年に大宇(デウ)ロイヤルズ(現・釜山アイパーク)でデビューし、華麗な技術と強靭な体力を武器に「野生馬」と呼ばれたKリーグ屈指の万能選手だった。Kリーグ通算255試合に出場し、35ゴール17アシストを記録した。
同氏はFW、MF、DFの3ポジションすべてでベストイレブンに選ばれた初の選手で、デビューイヤーの1987年にFW部門で選ばれた後、1991年にはMF部門、1996年、1997年、1999年にはDF部門でベストイレブン入りし、ポジションを問わず活躍した伝説的存在となった。
1997年にはKリーグMVPも受賞しており、釜山大宇ロイヤルズおよび韓国代表での活躍を通じて、韓国国内外のファンに深い印象を残した。

選手部門:デヤン・ダミヤノヴィッチ氏
デヤン氏は外国籍選手として初めて「Kリーグ名誉の殿堂」に選ばれた。
デヤン氏は2007年に仁川(インチョン)ユナイテッドでKリーグ・デビューした後、FCソウル、水原三星(スウォン・サムスン)ブルーウィングス、大邱(テグ)FCを渡り歩いて計12年間プレーした。Kリーグ通算(リーグカップ含む)380試合198ゴール48アシストを記録し、最前線で圧倒的な存在感を示した。
2010年から2013年まで4年連続でFW部門のベストイレブンに選ばれており、2012年にはKリーグMVPおよび得点王を同時受賞。一時代を築いたKリーグ屈指の点取り屋デヤン氏は、現在もイ・ドングッ氏(通算228ゴール)に次いでKリーグ通算得点ランキング2位に位置している。

選手部門:ユ・サンチョル氏
ユ・サンチョル氏は1994年に現代ホランイでデビューし、DF、MF、FWすべてこなす万能型マルチプレーヤーとして活躍した。1998年にKリーグ得点王に輝くと、キム・ジュソンに続きDF、MF、FWの全ポジションでベストイレブンに選ばれた2人目の選手となった。
Kリーグでは通算144試合38ゴール9アシストを記録。日本のJリーグでも成功を収め、2005年に蔚山へ復帰し、翌2006年に現役を引退した。引退後は大田(テジョン)シチズン(現・大田ハナシチズン)、全南(チョンナム)ドラゴンズ、仁川の監督を歴任し、指導者として第2のサッカー人生を歩んだ。
特に、仁川監督時代はがん闘病中も最後まで現場に立ち続け、多くの感動を与えた。ユ・サンチョル氏は2021年6月7日に永眠した後も、韓国サッカー界の象徴的人物として記憶されている。

指導者部門:キム・ホ氏
指導者部門で殿堂入りしたキム・ホ氏は1988~1990年に現代ホランイ、1995~2003年に水原三星、2007~2009年に大田シチズンの監督を務め、Kリーグ通算(リーグカップ含む)208勝154分181敗を記録した。「208勝」という数字は、チェ・ガンヒ監督(229勝)、キム・ジョンナム監督(210勝)に次ぐ歴代3位の記録だ。
1995年には水原三星の初代監督として新設クラブをKリーグ屈指の強豪へ導き、1998年と1999年にKリーグ2連覇、2000-2001シーズンおよび2001-2002シーズンにはアジアクラブ選手権(現AFCチャンピオンズリーグ)2連覇、2002年にFAカップ(現コリアカップ)優勝を果たした。
キム・ホ氏は優れた戦術眼と広いサッカー視野で水原三星を名門クラブへと育て上げ、多くのスター選手を輩出した。

功労者部門:チョン・モンジュン氏
功労者部門では、韓国サッカー協会(KFA)名誉会長のチョン・モンジュン氏が殿堂入りした。
チョン・モンジュン氏は韓国プロサッカー連盟が設立された1994年から1998年まで、連盟の初代および第2代会長を務めた。在任中はタイトルスポンサー制度の導入、全北、全南、水原、大田のクラブ創設による10クラブ体制の整備、ホームタウン制度の定着など、Kリーグ発展に大きく貢献した。
1993年から2009年はKFA会長としても活動し、2002年日韓ワールドカップの誘致および成功的な開催において中核的な役割を果たした。
2002年日韓ワールドカップがもたらした国民的なサッカーブームはKリーグ人気につながり、全国10都市に建設されたワールドカップ競技場がKリーグクラブのホームスタジアムとして活用されるなど、同大会はKリーグのインフラ整備と認知度向上に大きく寄与した。
また、国際サッカー連盟(FIFA)の副会長および執行役員としても活動し、国際サッカー界で韓国の地位を高めた。連盟はKリーグと韓国サッカーの体系化を牽引したチョン・モンジュン氏の功績を称え、功労者部門での殿堂入りを決定した。
「Kリーグ名誉の殿堂」とは
「Kリーグ名誉の殿堂」は2023年に韓国プロサッカー発足40周年を迎え、韓国プロサッカーを輝かせた人物の功績を称え、その足跡をKリーグの歴史に刻む目的で設立された。
2023年の初代殿堂入り者には、選手部門でチェ・スンホ氏、ホン・ミョンボ氏、シン・テヨン氏、イ・ドングッ氏、指導者部門でキム・ジョンナム氏、功労者部門で故パク・テジュン氏が選ばれている。
今回の殿堂入り者選定は、「Kリーグ名誉の殿堂選定委員会」の審査を経て進められた。
選手部門は、選定委員会が立候補の基本条件を満たした引退選手230人を対象に議論し、20人を推薦。その後、選定委員会の自主投票(40%)、クラブ代表および監督投票(20%)、メディア投票(20%)、オンラインファン投票(20%)を通じて、最終的に4人が選出された。
指導者部門と功労者部門は、選定委員会の内部合意で選定された。
選定委員長はウィ・ウォンソク氏(韓国サッカー協会疎通委員長)が務め、そのほかチョ・ヨンジュン氏(元江原FC強化室長)、アン・ギホン氏(元釜山アイパーク代表)、パク・ジェヨン氏(韓国プロサッカー連盟理事)、ハン・ジュンヒ氏(Coopang Play解説者)、イ・ジョンソン氏(漢陽大学スポーツ産業学科教授)が名を連ねた。
連盟は今後、9月中に「Kリーグ名誉の殿堂」殿堂入り式を開催し、殿堂入り者を招待してトロフィーと殿堂入り証書を授与する予定だ。
また、関連クラブのホームゲーム招待イベントを含め、記念映像の制作、オンライン記念館への殿堂入りなど、年間を通じて彼らの功績を称える催しを行う予定だ。
(文=ピッチコミュニケーションズ)
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