元プロ野球選手で野球解説者の張本勲さんが、この世を去った。
9月9日午後、東京都内の病院で死去した。86歳だった。
日本では、通算3085安打を放ち「安打製造機」と呼ばれた現役時代の実績や、巨人で王貞治さんと築いた「O-H砲」、さらには引退後の解説者としての活動などを中心に訃報が大きく伝えられている。
一方、韓国メディアの報じ方には、日本とは少し異なる特徴がある。
多くの記事が「ハリモト・イサオ」ではなく、韓国名の「チャン・フン」を前面に出し、「在日コリアン」「在日同胞」としての歩みを強く伝えているのだ。
「韓日野球の大きな星が沈んだ」

『中央日報』は9月10日、「韓日野球の大きな星が沈んだ…“3000安打の伝説”チャン・フン、86歳で死去」と題して訃報を報じた。
記事では、張本さんについて「1940年、日本・広島で生まれた在日コリアンのチャン・フン」と紹介。そのうえで、右手に大きなけがを負いながら左打者として頭角を現し、1959年に東映フライヤーズへ入団した経歴を振り返っている。
さらに、「在日コリアンという不利な立場にもまったく屈せず、NPB伝説の打者として君臨した」とも表現した。
もちろん、通算3085安打、504本塁打、打率3割1分9厘という圧倒的な成績も詳しく紹介しているが、それだけではない。
韓国政府から1980年に体育勲章猛虎章、2007年に国民勲章無窮花章を受章したことにも触れ、「韓国でも早くからその業績が知られていた」と伝えている。
見出しから張本さんのルーツを強く打ち出したのは、『京郷新聞』も同じだ。
「在日同胞の野球レジェンド“安打製造機”チャン・フン死去…日本通算3085安打、不滅の1位」と報じている。
記事では、1940年に広島で在日コリアン2世として生まれたこと、幼少期のやけどで右手の一部が不自由になったこと、5歳のときに広島への原爆投下を経験したことなどを詳しく紹介した。
さらに「差別と貧困、身体的障害と被爆の記憶を乗り越え、日本プロ野球最高の打者の一人に成長した」と、その人生そのものを大きく取り上げている。
張本さんが原爆投下を経験し、姉を被爆で失ったことは日本でも知られている。ただ、韓国メディアでは、それが「在日同胞として日本社会を生きた人物」という文脈とともに語られている点が印象的だ。
韓国野球との縁も紹介

「日本プロ野球通算3085安打の伝説、“安打製造機”チャン・フン死去」と見出しを打ったのは『朝鮮日報』だ。
記事では日本球界での実績に加え、「韓国野球との縁も深かった」と紹介。1982年の韓国プロ野球発足を前にKBO総裁特別補佐を務めたことや、韓国野球の発展にも力を注いだことに触れている。なお、『朝鮮日報』は、張本さんが選手時代から長く韓国国籍を維持していた一方、2024年の『産経新聞』のインタビューで日本国籍を取得したことを明らかにしたとも伝えた。
『ニュース1』も「日本プロ野球“3000安打の伝説”在日コリアン、チャン・フン死去」と報道。
こちらも張本さんが1982年から2005年までKBO総裁特別補佐を務め、韓国プロ野球の草創期に在日コリアン選手が韓国でプレーするための橋渡しに力を尽くしたと伝えた。
つまり韓国では、張本さんを単に「日本プロ野球で3085安打を放った偉大な打者」としてだけでなく、「韓国野球とも深く関わった在日同胞」として振り返っている。
日本の訃報では、3085安打という大記録や現役時代のプレー、巨人での活躍、引退後の解説者としての姿などが中心に伝えられている。
実際、亡くなる約1カ月前には東京ドームの「サントリードリームマッチ」に姿を見せ、8月にはTBS系『サンデーモーニング』にも出演していた。突然の訃報として受け止められている面も大きい。
一方、韓国メディアで繰り返されるのは「チャン・フン」という名前と、「在日コリアン」「在日同胞」という言葉だ。そして、差別や貧困、身体的なハンディキャップ、被爆の記憶を抱えながら、日本プロ野球の歴史に残る打者となった人生が強調されている。
同じ人物の訃報でも、日本では「球界のレジェンド張本勲」、韓国では「在日同胞チャン・フン」いう側面がより強く打ち出されているといえるかもしれない。
その違いは、張本さんが単に日本プロ野球の大記録を残した選手だっただけではなく、日韓両国の野球史にまたがって生きた人物だったことを、改めて浮かび上がらせている。
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