亡くなるわずか4日前だった。
女優の故チャン・ジニョンさんは、交際していたキム・ヨンギュン氏と法的に夫婦となった。
9月1日は、チャン・ジニョンさんがこの世を去ってから17年となる日だ。
チャン・ジニョンさんは2009年9月1日、胃がんとの闘病の末に亡くなった。享年37歳。
彼女の最期の時間には、まるで映画のような愛の物語があった。
亡くなる4日前、法的な夫婦に
チャン・ジニョンさんとキム氏は2008年、知人の紹介で初めて出会った。
しかし、幸せな時間は長く続かなかった。チャン・ジニョンさんは同年、胃がんと診断された。
キム氏は、闘病する恋人のそばを離れなかった。チャン・ジニョンさんにとって最後の誕生日となった2009年6月14日にプロポーズし、2人は約1カ月後の7月26日、アメリカ・ネバダ州ラスベガスで2人だけの結婚式を挙げた。

そして帰国後、チャン・ジニョンさんの病状は悪化した。キム氏は8月28日、ソウル・城北区庁を訪れ、婚姻届を提出した。キム氏自身が区庁を訪れた。
チャン・ジニョンさんが亡くなる4日前のことだった。
2人はこうして恋人から法的な夫婦となった。しかし、結婚生活に与えられた時間はわずか4日だった。チャン・ジニョンさんは9月1日、ついに息を引き取った。
夫キム・ヨンギュン氏の父親は、キム・ボンホ元国会副議長だ。義理の娘の弔問に訪れたキム元副議長は、「結婚の知らせには驚いたが、息子の選択はチャン・ジニョンのために、とても良い決断だった」と語ったこともある。
キム元副議長は第10代、第12~15代国会議員を務め、1998年から2000年まで第15代国会副議長を歴任した。
キム・ヨンギュン氏は2男2女の次男で、中央大学写真学科を卒業し、米イリノイ州立大学大学院でMBA課程を修了した。その後、実業家や大学教授として活動し、第20代国会議員選挙に候補者として出馬したこともある。
2人が婚姻届を提出していた事実は、チャン・ジニョンさんの死後になって初めて明らかになった。
当時、所属事務所イェダンエンターテインメントは葬儀場でブリーフィングを開き、2人が結婚し、婚姻届を提出していたことを正式に確認した。

さらに、もう一つの事実も明らかにされた。
チャン・ジニョンさんの死後、法的配偶者であるキム氏には相続をめぐる問題が生じる可能性があったが、キム氏は相続に関するすべての権利を故人の両親に委任する意向を示した。所属事務所は、関連書類の手続きも終えたと説明した。
当時、キム氏は所属事務所を通じて、自分とチャン・ジニョンさんは一つの存在のようなものであり、闘病の道を一人で歩ませることはできず、最後まで一緒にいたかったと心境を伝えた。
亡くなった後も受け継がれた遺志
チャン・ジニョンさんが残したものは、愛の物語だけではない。
1993年のミス・コリア忠南大会で「真」に選ばれた彼女は、その後、女優へ転身。
映画『反則王』を皮切りに、『鳥肌』『オーバー・ザ・レインボー』『菊花の香り~世界でいちばん愛されたひと~』『シングルズ』『青燕-あおつばめ-』『恋愛、その耐えられない軽さ』などに出演した。
特に『鳥肌』と『シングルズ』で2度、青龍映画賞の主演女優賞を受賞し、当時を代表する女優としての地位を確立。最後のドラマは2007年のSBS『ロビイスト』だった。

亡くなった後も、彼女の名前は受け継がれている。チャン・ジニョンさんは闘病中、母校である全州中央女子高校の生徒たちのために奨学金を寄付する意向を残していた。
父親のチャン・ギルナムさんは娘の遺志を受け継ぎ、2010年にチャン・ジニョンさんの雅号にちなんだ「ケアム奨学会」を設立し、経済的に厳しい学生たちを支援した。2011年には全羅北道・任実に「チャン・ジニョン記念館」も建てた。
しかし、その父親も思いがけない事故によって娘のもとへ旅立った。
チャン・ギルナムさんは2024年5月、チャン・ジニョンさんの15周忌行事を準備するため記念館を訪れ、帰宅途中に足を踏み外して転倒する事故に遭い、亡くなった。享年89歳だった。
チャン・ジニョンさんが亡くなって17年。
彼女が残した作品は今も人々の記憶に残り、闘病中も手放さなかった愛と、人への思いやりも受け継がれている。
なかでも、亡くなる4日前に法的な夫婦となった2人の最後の選択は、17年が過ぎた今も胸に迫る余韻を残している。
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