“NewJeansの母”と呼ばれるミン・ヒジンが、K-POPではなく「光州(クァンジュ)の歴史」を語った。
それだけでも、彼女の現在地を示しているのかもしれない。
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ooakレコーズ代表のミン・ヒジンは5月12日、全南(チョンナム)大学で特別講演を行った。同講演は、全南大学5・18研究所の創立30周年と、5・18民主化運動46周年を記念して開かれたものだ。
韓国ではよく知られた「5・18民主化運動」だが、若干の説明が必要かもしれない。
5・18民主化運動とは、1980年5月に全羅南道・光州で起きた民主化運動を指す。軍事クーデターに抗議し、民主化を求めた学生や市民が軍によって鎮圧され、多くの死傷者を出した。
現在の韓国では、民主化の歴史を語るうえで欠かせない出来事として位置づけられている。
今後は“文化を語る人”へ?
講演に先立ち、ミン・ヒジンは5・18国立民主墓地を参拝。会場となった全南大学の龍池館(ヨンジグァン)コンベンションホールには、学生や市民が廊下まで詰めかけ、高い関心を集めたという。

講演で彼女は、5・18民主化運動について「実際にあった事実であり、歴史だ」と語った。
さらに「これを政治的に違う形で解釈し、別の話をする人たちもいるが、国民がこの歴史から目を背けてはいけない」と強調した。
彼女が「目を背けてはいけない」と強調したのは、5・18民主化運動の歴史認識をめぐって、韓国社会で今も完全に無風とはいえないからだ。
一部の保守層や極右的な立場の人々は、5・18を「北朝鮮の扇動による暴動」などと見る歴史修正的な主張をしてきた。だからこそ、5・18を「事実であり歴史」と明言することは、単なる追悼の言葉以上の意味を持つ。
実際、2024年に作家ハン・ガンが韓国人として初めてノーベル文学賞を受賞した際にも、保守団体の一部は彼女の受賞に反対した。ハン・ガンの小説『少年が来る』が光州民主化運動を「美化している」と問題視し、彼女を「歴史歪曲作家」と主張しながら駐韓スウェーデン大使館前で抗議デモを行ったのだ。
つまり、5・18をどう語るかは、現在の韓国においてもなお政治的な火種を含み得る。ミン・ヒジンが光州で「5・18は歴史だ」と言い切ったことには、それなりの重さがある。
興味深いのは、ミン・ヒジンが今回、5・18だけを語ったわけではないことだ。
彼女は同じ講演で、文化産業、資本、創作、アーティスト保護についても語った。
ミン・ヒジンといえば、NewJeansを生み出したプロデューサーであり、ADOR前代表としてHYBEとの経営権紛争の中心に立った人物だ。近年の彼女の発言は、どうしてもNewJeans、ADOR、HYBE、経営対立の文脈で受け取られてきた。
しかし全南大学での講演では、彼女の言葉の射程が少し違っていた。

ミン・ヒジンは、ADOR代表時代にNewJeansをローンチした後、経営紛争を経て独立レーベル(ooakレコーズ)を設立することになった背景にも触れた。
「私は音楽がやりたくてレーベルを始めた」と語った彼女は、「基本がしっかりしていれば、それ自体だけでも産業になり、結局、本質に集中する人が大きな流れを変えるしかない」と述べた。
さらに、「資本の力が創作の領域を振り回そうとするとき、それを防ぎ、アーティストを守る最小限の防波堤が必要だと思った」とも話している。
これは明らかに、彼女自身の経験と重ねて読まれる言葉だろう。
NewJeansをめぐる騒動以降、ミン・ヒジンは巨大資本とクリエイターの関係、レーベルの独立性、アーティスト保護という問題を何度も語ってきた。今回の講演でも、その主張は続いている。
ただし今回は、それが単なる自己弁護や業界内部の争いとしてではなく、5・18、抵抗、歴史、文化という大きな文脈の中に置かれた。
歴史を歪める力に対して「目を背けてはいけない」と語り、資本が創作を揺さぶることに対して「防波堤が必要だ」と主張し、文化を人工的に作ろうとする発想に対して「本質」を口にする。
それらは別々の話題のようでいて、ミン・ヒジンの中ではひとつにつながっているようにも見える。
敬意と迎合は違う
もうひとつ注目したいのは、ミン・ヒジンが講演の場で、光州にとって耳触りのいいことだけを語ったわけではない点だ。
彼女は、地域の懸案として語られる韓国芸術総合学校の光州移転について、反対の立場を示した。
「政治家と芸術家は脳の構造が違うため、話にならない政策が出ることもある」としたうえで、「突然、韓国芸術総合学校を光州に移転するようなことには反対だ」と述べた。さらに「人工的なものは常に文化の中で淘汰され、大衆に背を向けられる」とも語っている。
これは、彼女の文化観を考えるうえで重要な発言だ。5・18民主化運動を尊重し、光州の歴史に敬意を示しながらも、文化施設を政策的に移せば文化が生まれるという発想には距離を置いたからだ。
つまりミン・ヒジンは、光州という場所を持ち上げるために、すべてに賛成したわけではない。
光州には歴史がある。しかし、その歴史を理由に、文化を人工的に配置すればいいというものではない。文化は政策で箱を移せば生まれるものではなく、内側から育つものだ。そうした考え方が、今回の発言にはにじんでいる。
これは、彼女がK-POPの現場で重視してきたこととも重なる。

ミン・ヒジンは、巨大なシステムの中にいながらも、コンセプト、音楽、ビジュアル、アーティストの空気感など、細部の「本質」を重視してきたプロデューサーとして語られてきた。NewJeansが登場したとき、多くの人が反応したのも、単に大手事務所の新人だからではなく、どこか既存のK-POP文法と違う手触りがあったからだ。
その彼女が、「人工的なものは文化で淘汰される」と語ったことは、単なる地域政策への意見ではなく、彼女自身の文化観そのものでもあるのだろう。
今回の講演でミン・ヒジンは、「抵抗」についても語った。
「抵抗があってこそ変化がある。成功で終わらなかったとしても、抵抗は世の中に伝える意義が大きい」という趣旨の言葉を残している。
5・18民主化運動を記念する場でこの言葉が出たことは、当然ながら歴史への言及として読まれる。だが同時に、ミン・ヒジン自身の姿とも重なって見える。
彼女はHYBEとの対立以降、巨大な資本や組織を相手に自分の言葉を発し続けてきた。その姿勢をどう評価するかは人によって分かれるだろう。支持する人もいれば、過剰な自己主張と見る人もいる。
それでも今回、全南大学で彼女が語った言葉を見ると、ミン・ヒジンは自分の争いを、単なる個人の権力闘争としてではなく、創作や文化を守る問題として位置づけようとしているように見える。
もちろん、その見方がすべて正しいかどうかは別問題だ。NewJeansをめぐる騒動では、ファン、メンバー、事務所、親会社、業界全体を巻き込み、多くの混乱が起きた。ミン・ヒジン自身の言葉が、常に穏当だったわけでもない。彼女の主張がすべて無条件に受け入れられるわけではないだろう。
しかし今回の講演で重要なのは、彼女が自分の言葉を芸能ニュースの枠の外へ押し出そうとしていることだ。
ミン・ヒジンは今、K-POPのプロデューサーという肩書きを越えて、文化そのものを語る言葉を持とうとしているのかもしれない。
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