ピコ太郎、不遇時代の恩師は故・立川談志師匠!前座や手紙も | RBB TODAY

ピコ太郎、不遇時代の恩師は故・立川談志師匠!前座や手紙も

 3日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』にピコ太郎が出演、不遇時代の恩師・故立川談志師匠について語った。

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 3日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』にピコ太郎が出演、不遇時代の恩師が故・立川談志師匠であることを明かした。

 YouTubeに投稿した「PPAP」のMVとともに全世界で人気を博したピコ太郎。金スマはそんなピコ太郎に70日間も密着、世界を飛び回る様子を放送した。しかしピコ太郎にも長い不遇の時代が。同番組では、「PPAP」へとつながる自身の現在の路線を最初に支持し、応援してくれたのが故・立川談志師匠であることをピコ太郎が告白した。

 ピコ太郎のプロデューサーとされる古坂大魔王。デビューは1992年、「底ぬけAIR-LINE」として『ボキャブラ天国』に出演していたものの番組終了後は仕事が減り、音楽とお笑いを融合させたネタが認められない不遇の時代が続いた。優勝を目指し「爆笑オンエアバトル」でも音楽ネタを押し通したものの、結果は9位と惨敗。しかし、そんな古坂に声をかけてくれたのが談志師匠だったのだという。

 談志師匠は古坂のネタを「イリュージョン」と表現、誰もやっていないことは自分の才能だと思って、誰に何を言われようともやり続けるようにアドバイスをしたのだという。

 人の評価は気にせず、自分がいいと思ったことは思い込んでやるように、という談志師匠の言葉が当時を支えたと語ったピコ太郎。談志師匠は自分の独演会の前座に古坂を呼び、「あれやれあれ、ほら、機械(キーボード)置いてポンポンのやつ!」と古坂のテクノ音楽ネタを師匠自ら推薦してくれたことすらあったと言う。

 また、古坂がいったんお笑いを離れ、自分のお笑いの路線に悩んでいた時にも談志師匠から「遊んでるか?」と一言記された手紙ももらったことも明かした。この手紙で「自分がいいと思ったことはやり続けろ」という談志師匠の言葉が蘇り、その言葉を信じることで現在の路線を確立することができた、とピコ太郎は感謝とともに丁寧に語った。
《築島 渉》

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