「こんなデザイン美術館をつくりたい !」シンポ……トークセッション | RBB TODAY
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「こんなデザイン美術館をつくりたい !」シンポ……トークセッション

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左から五十風光太郎氏、宮島達男氏
  • 左から五十風光太郎氏、宮島達男氏
  • 左から三宅一生氏、青柳正規氏
  • 左から伊東豊雄氏(三宅氏が説明した裂織のコートを着用)、浅葉克己氏
  • セッション3の会場風景
  • シンポジウムが行われた「せんだいメディアテーク」外観。設計は伊東豊雄氏
セッション2では、「こんなデザイン美術館をつくりたい」のテーマのもと、一般から寄せられたアイデアを、司会者の宮島達男氏(現代美術家)、五十嵐太郎氏(建築史家)とともにセレクトし、紹介した。

応募総数は38通。全体としては、建築に関する提案が多く、その中でも、既存の施設をつなげていくというネットワーク型が目立った。他に、ミュージアム自体が街の吸引力になるランドマーク型、また、建物ではなく、サーカスのように移動型美術館という大胆な発想も報告された。「バブル期のスクラップ&ビルドではなく、廃校などの公共施設の活用や、地域活性化とのつながり」といった時代性との関係を、五十嵐氏は指摘する。

アーカイブをどのような基準で収集していくかという、コレクションポリシーのあり方に加えて、「モノとしてのデザインがある一方で、人と人をつなげるデザインが多くなっている。コレクションとして、どのようにアーカイブしていくのか」と、宮島氏も課題を投げ掛けた。

最後のセッション3の登壇者は、伊東豊雄氏(建築家)、浅葉克己氏(アートディレクター)、そして、三宅一生氏、青柳正規氏。

40年前から、素材を見るために、東北へ訪れていた三宅氏は、東北に残る「裂織(さきおり)」を紹介しつつ、裂織をどのように製品に取り入れているかを解説し、「日本人の手の器用さを取り戻していきたい。江戸時代の庶民文化が、日本の魅力になっている。全国に伝えて、いろいろな方面に生かしていきたい」と、美術館の大きな核となる「手の仕事」の大切さに焦点を当てる。

伊東氏は、震災で家を失った人々と集まり、住む人と建てる人が一緒につくるという「みんなの家」プロジェクトを立ち上げている。その活動から、「3.11の教訓として、建築は何のために、誰のために造るのかという、極めて本質的な問題に突き当たった。今は、プロセスをデザインしていくことが、大きなテーマだと思っている」と、震災復興における、街作りと建築デザインの差し迫った問題点をも浮き彫りにする。

母親が宮城県石巻市出身の浅葉氏は、東北に関係する仕事に加えて、石巻市雄勝町から産出される石を使った伝統工芸品である「雄勝硯(おがつすずり)」が、工房もろとも津波に流されてしまったこと、その後の復興について紹介。運良く残った硯を、会場に展示した。

青柳氏は、折しも仙台で開催されていた伊藤若冲の展覧会を例に挙げ、「日本では、ファインアートがないのではないか」と、美術と工芸に境目のない特徴に言及。「デザインというキーワードで、新しい日本文化を見出すことができる」と、国立デザイン美術館が、工芸を中心として研究・開発の場となる意義を示す。

他に、教育との連携に関して、コンテンツの次の問題として運営上の経済的側面についても議題にのぼった。最後に三宅氏が、「ここ、せんだいメディテークに、デザイン美術館の原型があるような気がした。仙台の皆さんに、この場所を使わせてもらったことで、スピードが増す。未来が見えてきた。経済面はなんとかなると思わないと物事は動かない。やりましょう」と、力強い言葉で締めくくった。

世界から、日本のデザインがあらゆる分野で注目を浴びている。にもかかわらず、日本に、デザインミュージアムがない。旅行をすれば、誰しもその地の美術館や博物館を訪れる。人々の暮らしから生まれたデザイン、モノは、その時代に人々が生きてきた証であり、暮らしそのものだからだ。デザイン、モノが積み重なって今があり、そこから、未来が生まれる。その積み重ねが残されていないということは、”今”は、砂上の楼閣なようなものだ。簡単に崩れ去り、断絶してしまう危機をはらんでいる。そういう意味でも、国立デザイン美術館が一刻も早く具体化されることを願うと共に、心から応援したい。

【REPORT2/2】「こんなデザイン美術館をつくりたい ! 」2部は宮島達男、五十嵐太郎、3部は伊東豊雄、浅葉克己、三宅一生、青柳正規がトークセッション

《清水早苗》
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