2026年北中米W杯でグループステージ敗退に終わった韓国代表。初戦のチェコ戦は2対1で勝利したものの、続くメキシコ、南アフリカに連敗を喫し、目標としていたベスト32(グループステージ突破)への道がついえた中、指揮官のホン・ミョンボ監督が先ほど、メキシコ・グアダラハラのベースキャンプ地で記者会見に臨み、辞任を発表した。
「まず、サッカーを愛し、いつも代表チームを応援してくださった国民の皆様に、心からお詫び申し上げます。本日、私は韓国代表監督職から退きます」
【W杯】「夕食中にコンゴの勝利を目撃…茫然自失」韓国、敗退当日の様子
そう切り出したホン・ミョンボ監督は、用意した書面を読み上げた。

「韓国サッカーのためになるのか。それだけを考えた」
「代表チームの監督というポジションは、決して簡単なものでありませんでした。しかし、監督をするときと決めたあとからはほかの考えはしませんでした」
「この2年間、私は常に同じ問いを自分自身に投げかけてきました。この選択は、韓国サッカーのためになるのか。代表チームの重要な決定を下すときも、選手を選ぶときも、トレーニングを準備し試合を戦うときも、その問いだけは手放しませんでした」
「すべての判断が常に正しかったとは申し上げられません。しかし、私のあらゆる判断の基準は、いつだって韓国サッカーでした」
「監督というポジションは、結果の前ではいかなる言い訳も通用しない席だと考えています。ですから今日は、弁明ではなく責任を口にするためにこの場に立ちました。国民の皆様が期待されていた結果を、最後までお見せすることはできなかった。その責任はすべて、監督である私にあります」
「最後まで戦い抜いてくれた選手たち、コーチングスタッフ、サポートスタッフ、これまで支え代表チームのために黙々と犠牲を払ってくださったすべての方々に、心から感謝いたします」
「私は本日、代表監督の座を退きます。しかし、韓国サッカーを想う心まで手放すわけではありません。我が代表チームが再び国民の皆様の信頼と愛を受けられるチームへと成長していくことを、心から応援しています。ありがとうございました」
難航必至の新監督選びと待ち受ける波乱
ホン・ミョンボ監督がW杯直後に代表監督を途中辞任するのは、2014年ブラジルW杯に続き2度目となる。12年前は大会直後に辞任を決意するも韓国サッカー協会幹部からの強い引き止めもあり、いったんは保留。しかし、その後に世論の反発が起きて辞任した。今回は現地で即座に自らの進退を表明した。
ホン・ミョンボ監督と一部の選手たちは6月29日に現地を発ち、6月30日未明に仁川(インチョン)国際空港に到着する予定だ。しかし、帰国直後の記者会見などの行事は一切行わず、そのまま解散するという。
現場の指揮官を失ったこと以上に深刻なのは、これから韓国サッカー界に待ち受ける大波乱だろう。
目前に迫る最大の懸念材料は6カ月後の2027年1月に行なわれるサウジアラビアでのアジアカップだ。本来であればホン・ミョンボ体制で臨むはずだったが、新たな指揮官を選ばなければならなくなった。
しかも、その代表監督選びの前に、韓国サッカー協会のトップも決めなければならない。協会トップであるチョン・モンギュ会長が大会前に「W杯直後に退任する」と公約しているのだ。
会長の退任が間近に迫るなかで代表監督まで辞任したことで、先行きは完全に不透明。新たな会長の選定から始めなければならない現状を踏まえると、次期監督の招聘やチームの再建スケジュールが予定通りに進むかは極めて不透明と言わざるを得ない。
パク・チソンが嘆いたシステムの限界
この惨状に対し、韓国サッカー界のレジェンドであるパク・チソンは、冷徹かつ悲痛な視線を向けている。
なぜこのような状況を迎えることになってしまったのか、もう一度振り返らなければならないこと自体が、少し惨めな気持ちになる」
そう語ると場当たり的な改革への幻想を抱く周囲をこう窘めた。
「魔法のランプの魔人ジーニーが現れて、一瞬ですべてを変えてくれるようなことはあり得ない。韓国サッカー界がまともなシステムを構築するためには、最低でも10年以上はかかるのではないか」
今まさに構造的なメスを入れざるを得ない局面に立たされた韓国サッカー界。すでに主官庁である文化体育観光部(日本の文部科学省に相当)が協会改革の代替案の策定に乗り出す意志を表明しており、政府主導での構造改革の可能性も否定できない。
政治介入には極めて反対だが、それも阻止できない状況に追い込まれてしまった。この混迷を機に、韓国サッカーは変革を成し遂げられるのか、それともさらなる長い停滞期へと突入してしまうのか。これから迎える数ヶ月は、まだまだ波乱が続きそうだ。



