aespa・ウィンターも思わず怒りと涙…“死刑囚オ・フィウン”の事件を扱った韓国SBSの番組に反響 | RBB TODAY
※本サイトはアフィリエイト広告を利用しています

aespa・ウィンターも思わず怒りと涙…“死刑囚オ・フィウン”の事件を扱った韓国SBSの番組に反響

エンタメ 韓国・芸能
注目記事
aespa・ウィンターも思わず怒りと涙…“死刑囚オ・フィウン”の事件を扱った韓国SBSの番組に反響
  • aespa・ウィンターも思わず怒りと涙…“死刑囚オ・フィウン”の事件を扱った韓国SBSの番組に反響

死刑囚オ・フィウンの事件を伝えた、韓国SBSの番組が2025年の自己最高視聴率を更新した。

【写真】ウィンター、“超極細ウエスト”

7月10日に放送された『尻尾に尻尾を噛むあの日の物語』(原題、以下『ココム』)の第183回は、「特集:ザ・リアル」3部作の最終回で、「死刑囚オ・フィウン、50年の絶叫」というテーマのもと、死刑に処されたオ・フィウンの物語を深く取り上げた。

パク・ジュニョン弁護士が語り手として登場し、チャン・ソンギュがリスナー役に、さらにガールズグループaespaのウィンターと俳優リュ・スヨンが別のリスナーとして参加した。

視聴率調査機関ニールセンコリアによると、この日の『ココム』の視聴率は首都圏3.7%、全国3.7%、2049(20歳から49歳の)視聴率は1.7%を記録し、今年の自己最高視聴率を突破した。

特に2049視聴率では同時間帯1位を獲得し、木曜日のすべてのバラエティ、教養、ドラマを含めても1位となり、木曜の絶対的王者の座を守った。

殺人事件の犯人なのか

パク・ジュニョン弁護士は「今日必ず伝えたい話は、私のような法曹人の間では伝説のように語り継がれているが、一般の人にはあまり知られていない」と語り始めた。

『ココム』第183回
(画像=SBS)『ココム』第183回​​​​​​

1974年、仁川(インチョン)のシンフン市場で米店を営むチュ・ジョンスク氏(仮名)が夫と2人の子どもの遺体を発見した。夫と子ども2人には絞殺の痕があったが、侵入の痕跡はなく、警察は夫が家族を殺害後、“極端な選択”をした可能性が高いとみていた。

しかし事件当日、チュ・ジョンスク氏が血の付いた手で洋服店に現れ、不安を訴えていたことや、「義実家に行く」と言い残していたことが判明。夫の首には切り傷があり、酒を嫌うチュ・ジョンスク氏が焼酎を買っていた点も不審視された。

さらに、チュ・ジョンスク氏は警察の取り調べで、「子どもは殺さないでと頼んだのに」と話し、衝撃を与えた。

その後、警察はチュ・ジョンスク氏と親しかった水道局職員の30歳、オ・フィウンを呼んだ。オ・フィウンはチュ・ジョンスク氏と恋人関係にあったことを認め、事件当日、米店を2度訪れたと供述した。最終的に2人は共謀したと自白し、大きな波紋を呼んだ。

だが、オ・フィウンはすぐに自白を撤回し、「警察の拷問により虚偽の自白をした」と主張。一方でチュ・ジョンスク氏は、オ・フィウンが夫と子どもを殺害したと供述し、彼が主犯だと証言した。この食い違う証言に、リスナーのウィンターは「誰も信用できない」と緊張感を高めた。

オ・フィウンの帰宅時間と犯行可能時間が事件の争点となった。オ・フィウンの帰宅時間は8時30分だったが、それでは犯行に要する時間が短すぎるという疑問があった。

当時事件を追跡していたチョ・ガプジェ記者は、警察の拷問疑惑を指摘。捜査機関の関係者によって、オ・フィウンの帰宅時間の操作を強要されたという証言も出てきた。検察記録にあるオ・フィウンの帰宅時間は9時10分だったが、それを裏付ける証拠はなく、彼の服や手から血痕は検出されなかった。

一方で、チュ・ジョンスク氏は事件前に大量の睡眠薬を購入し、夫と子どもに飲ませたと自白した。

問題は、睡眠薬の事実が明らかになったのは、オ・フィウンが拷問で自白した後だったことだ。チョ・ガプジェ記者は「その時点では、間違っているとわかってももう戻れない雰囲気だった」と語った。リスナーのリュ・スヨンは「人間は組織ができると、そういうことができるようになるのが怖い」と話した。

劇的な展開は、チュ・ジョンスク氏が刑務所内で、“極端な選択”をしたことで起こった。チュ・ジョンスク氏は睡眠薬を使ったことは認めたが、事件の真相とオ・フィウンの関与については最後まで明らかにしなかった。

チュ・ジョンスク氏の死後、裁判はオ・フィウンに不利に進み、裁判の焦点は彼に移った。最終公判で裁判官は、犯行当時の服装や手袋の有無を尋ねたが、手袋に関する捜査記録は存在しなかった。

『ココム』制作陣は事件を再検証し、現場検証当時の写真原本を入手。写真のオ・フィウンは素手で検証を受けており、手袋説と矛盾する重要な証拠だった。

オ・ユンソン教授は「現場検証は状況を再現するものだ。オ・フィウンの指紋が一つも出なかったため、捜査自体が混乱していた」と批判した。捜査初期から証言は食い違い、決定的な物証も存在しなかった。

専門家たちは、現在の基準で裁かれれば、オ・フィウンが無罪になる可能性が高いと見ている。しかし、裁判所は最終的にオ・フィウンに死刑を言い渡し、最高裁も原判決を維持し、事件発生から1年2カ月で死刑が確定した。

チャン・ソンギュは「あり得ない」、リュ・スヨンは「怖い」、ウィンターは「無実の人に死刑を言い渡すのは罪だ」と怒りをあらわにした。

絶望の中でオ・フィウンは再審を請求し、無念を訴えた。この日、『ココム』では彼の肉声が公開され、「自分のような冤罪被害者が二度と出ないことを願う」と語った。チャン・ソンギュは「胸の詰まる思いが伝わる」と哀悼を表した。

オ・フィウンは1979年、死刑執行された。最後の瞬間まで「私は絶対に殺していない。これは神様もご存じだ」と無罪を叫び、「検察や裁判官も私のような冤罪者が出ないよう、精神を引き締めてほしい」と遺言を残した。

ウィンターは「もう少し力を尽くしていれば、一人の命を救えたのではないか」と涙を流した。

ウィンター
(画像=SBS)ウィンター

この事件に15年間にわたって特別な関心を寄せてきたパク・ジュニョン弁護士は「証拠で事実を判断すべきだが、この事件は冤罪を訴える声の力が特別な事件だ」と述べ、「誰かがその恨みを晴らすべき」と強調した。関連証拠がすべて消失したことを嘆きつつも「『ココム』ならオ・フィウンの家族を見つけられるという希望を持って出演を決めた」と明かした。

制作陣は、仁川のシンフン市場周辺を15日間徹底的に探し、ついにオ・フィウンの2番目の弟オ・テソク氏を発見した。オ・テソク氏は兄の優しい姿を思い返し、「法務部のバスから一つの棺が降りてきた。それが兄だった。父が号泣した」と当時を語り、涙ぐんだ。

これを見たリュ・スヨンは「胸が張り裂ける」と語り、ウィンターも「つらすぎて言葉が出ない」と涙を流した。

パク・ジュニョン弁護士は再審について「固まった判決を覆すのは、熱した鉄を打ち直すように難しいが、過去に間違った鉄を直したことがある」と述べた。さらにオ・テソク氏の家族に会った際、自分を「死刑囚オ・フィウンの弁護人」と紹介すると、チャン・ソンギュは「鳥肌が立った」と感嘆した。パク・ジュニョン弁護士は資料や情報提供を広く呼びかけた。

『ココム』は、3人の「語り手」が自ら学んだことや感じたことを、それぞれの「語り友」に最も日常的な空間で、1対1で伝える番組で、毎週木曜日22時20分からSBSで放送されている。

(記事提供=OSEN)

男子高校生44人が1人の女子中学生を“1年間犯し続けた”韓国の事件とは

【写真】殺人罪より重い罪を適用…7歳生徒を刺殺した韓国女性教師の身元情報公開

性暴行後に殺害――女子高生の娘を失った父は“極端な選択” 韓国の凄惨な未解決事件

《スポーツソウル日本版》

Amazon売れ筋ランキング

【注目の記事】[PR]

関連ニュース

関連ニュース

page top