
喫煙と前立腺がん悪化の関連を説明する新たな分子機構
2026年8月27日
岐阜大学
ニコチン代謝物「コチニン」が前立腺がん細胞の増殖を促進する仕組みを発見 ― 喫煙と前立腺がん悪化の関連を説明する新たな分子機構 ―
本研究のポイント
・ニコチンの主要代謝物であるコチニン※1が、アンドロゲン※2存在下で前立腺がん細胞のアンドロゲンシグナルを増強し、がん細胞増殖を促進することを明らかにしました。
・コチニンは、アンドロゲン産生を増やすのではなく、アンドロゲン受容体(AR)※3と、治療抵抗性に関与するAR-V7※4のタンパク質分解を抑え、これらを安定化することを見いだしました。
・さらに、その分子機構として、コチニンがARと分子シャペロンHSP70※5との結合を増強する可能性を示しました。喫煙者の前立腺がんで報告されている予後不良やARを標的とする治療の効果低下を説明する新たな分子基盤となる可能性があります。
研究概要
岐阜大学大学院連合創薬医療情報研究科博士後期課程2年の林 莉々さん、博士研究員の工藤 優大さん(当時)、遠藤 智史 准教授らの研究グループは、岐阜薬科大学の五十里 彰 教授・吉野 雄太 講師、九州大学大学院医学研究院の塩田 真己 准教授、産業医科大学の藤本 直浩 名誉教授との共同研究により、ニコチンの主要代謝物であるコチニンが前立腺がん細胞の増殖を促進する新たな分子機構を明らかにしました。
前立腺がんではアンドロゲン受容体(AR)ががん細胞の増殖に重要な役割を果たしますが、喫煙ががん進行に影響する仕組みは十分に分かっていませんでした。
本研究では、コチニンがアンドロゲン前駆体存在下で、ARシグナルの指標となるPSA発現とがん細胞増殖を促進することを発見しました。さらに、コチニンが分子シャペロンHSP70とARとの結合を強め、ARおよびAR-V7をタンパク質分解から保護することで、その作用を増強することを明らかにしました。本成果は、喫煙と前立腺がんの進行・治療抵抗性との関連を説明する、新たな分子基盤を示すものです。
本研究成果は、現地時間2026年8月19日に、国際学術誌『Archives of Biochemistry and Biophysics』のオンライン版で発表されました。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202608264727-O4-w97qzx36】
研究背景
前立腺がんは、男性ホルモンであるアンドロゲンに依存して増殖するがんです。そのため、アンドロゲンの産生やアンドロゲン受容体(AR)の働きを抑える治療が広く行われています。しかし、治療を続けるうちに、アンドロゲンを低下させても増殖する「去勢抵抗性前立腺がん(CRPC)※6」へ進行することがあり、治療上の大きな課題となっています。特にCRPCでは、ARの異常や、ARの一部が変化したスプライシングバリアント「AR-V7」が、エンザルタミドやアビラテロンなどのARシグナルを標的とした治療への抵抗性に関与することが知られています。
一方、喫煙は多くのがんのリスク因子として知られています。前立腺がんについては、喫煙と発症との関係に不明な点が残るものの、診断時に喫煙している患者では、病気の進行や予後、特にARシグナル阻害薬による治療成績が悪化する可能性が共著者によって報告されていました [Shiota et al., Prostate, 2019;79:1147]。しかし、この現象を引き起こす具体的な物質と分子機構は十分に解明されていませんでした。
ニコチンは体内に取り込まれると、主に肝臓で「コチニン」へと代謝されます。ニコチンの血中半減期が約2時間と比較的短いのに対し、コチニンは約16~20時間と長く、血中にもニコチンより高い濃度で存在します。そこで本研究では、「ニコチンそのものではなく、体内で長時間存在するコチニンが前立腺がんのアンドロゲンシグナルに影響しているのではないか」という仮説のもと、その作用を解析しました。
研究成果
1. ニコチンではなくコチニンがアンドロゲンシグナルを増強
研究グループは、ARおよびAR-V7を発現するヒト去勢抵抗性前立腺がん22Rv1細胞を用いて、ニコチンとコチニンの作用を比較しました。ニコチンまたはコチニンを単独で添加しても、ARシグナルの指標となるPSAの発現には大きな変化が認められませんでした。一方、アンドロゲンの前駆体である5α-androstane-3,17-dione(5α-Adione)とともに処理すると、コチニンはPSA発現を有意に増強しましたが、ニコチンでは同様の作用は認められませんでした。
さらに、細胞増殖マーカーKi67の解析から、コチニンは5α-Adioneによって誘導される前立腺がん細胞の増殖をさらに促進することが明らかになりました。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202608264727-O5-ArMRbIQO】
図1. コチニンによるアンドロゲンシグナルと前立腺がん細胞増殖の増強
(A)5α-Adione処理によるPSA mRNA発現量変化。(B)ニコチンまたはコチニン処理によるPSA mRNA発現量変化。(C)5α-Adione存在下におけるニコチンまたはコチニン処理によるPSA mRNA発現量変化。(D–F)AR(緑)、増殖マーカーKi67(赤)および核(DAPI、青)の免疫蛍光染色。
2. コチニンはARとAR-V7を「分解されにくく」する
次に、コチニンがどのようにARシグナルを増強するのかを解析しました。まず、AKR1C3、DHRS11、HSD17B3、SRD5A1など、細胞内でアンドロゲンの合成にかかわる酵素について調べましたが、コチニンによる明らかな発現増加は認められず、ARシグナルの増強における関与が低度であることが示唆されました。
そこでARタンパク質そのものの安定性を調べたところ、コチニンはアンドロゲン存在下でARタンパク質の寿命を有意に延長することが分かりました。さらに重要なことに、コチニンは、去勢抵抗性前立腺がんの治療抵抗性との関連が知られているAR-V7についてもタンパク質の安定性を高めました。
つまりコチニンは、アンドロゲンを多く作らせるのではなく、「がん細胞の増殖スイッチとなるARを壊れにくくする」ことでアンドロゲンシグナルを増強することが明らかになりました。
3. ARとHSP70の結合増強がAR安定化に関与
ARは細胞内で不要になると、ユビキチン・プロテアソーム系※7によって分解されます。しかし、コチニンはARの分解に関係する代表的なE3ユビキチンリガーゼの発現や、プロテアソーム全体の活性には大きな影響を与えませんでした。一方、タンパク質の正しい構造や安定性を維持する「分子シャペロン」であるHSP70に着目したところ、コチニン存在下ではARとHSP70の結合量が増加することを見いだしました。これらの結果から、コチニンはプロテアソームを全面的に止めるのではなく、ARとHSP70の相互作用を強めることでARおよびAR-V7を選択的に分解されにくい状態にし、結果としてアンドロゲンシグナルを持続させると考えられます。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202608264727-O6-V2QmhQJz】
図2. コチニンによるAR・AR-V7安定化の分子機構
(A、B)5α-Adione存在下における細胞質および核内のAR、AR variants(AR Vs)のタンパク質発現とその定量。(C–F)Cycloheximide (CHX)chase assayによるAR、AR VsおよびAR-V7のタンパク質安定性解析。(C、E)5α-Adione存在下におけるコチニンの影響。(D、F)5α-Adione非存在下におけるコチニンの影響。(G)免疫共沈降法によるARとHSP70およびHSP90との相互作用解析。
今後の展開
本研究により、ニコチンの主要代謝物であるコチニンが、ARとHSP70の相互作用を介してARおよびAR-V7を安定化し、前立腺がん細胞のアンドロゲン依存的な増殖を促進するという新たな作用機構が明らかになりました。
一方、本研究は培養細胞を用いたin vitro研究であり、コチニンが実際の生体内で前立腺がんの進行や治療抵抗性を促進することを直接証明したものではありません。今後は、慢性的なコチニン曝露を再現した動物モデルを用いて、血中コチニン濃度やアンドロゲン濃度を厳密に管理しながら、腫瘍増殖やAR・AR-V7の安定化への影響を検証する必要があります。また、エンザルタミドなどのARシグナル阻害薬に対する治療応答への影響についても検証を進めることで、喫煙と前立腺がん治療成績との関連をさらに明らかにしていきます。
将来的には、喫煙歴やコチニン曝露を考慮した前立腺がんの治療戦略や、ARのタンパク質恒常性を標的とする新たな治療法の開発につながることが期待されます。
研究者コメント
喫煙と前立腺がんの予後との関連は以前から報告されてきましたが、その背景にある分子機構には多くの不明点が残されていました。今回、ニコチンそのものではなく、体内でより安定して存在する代謝物「コチニン」がARとAR-V7の分解を抑えるという、これまで知られていなかった仕組みを見いだしました。特に、治療抵抗性との関連が知られているAR-V7まで安定化されたことは重要な知見と考えています。
一方で、今回の成果は培養細胞を用いた基礎研究であり、「コチニンがヒトの前立腺がんを悪化させる」と直接結論づけることはできません。今後、動物モデルや臨床的な解析を重ねることで、喫煙と前立腺がんの進行・治療抵抗性との関係をより明確にし、患者さんの治療につながる知見へ発展させたいと考えています。
用語解説
※1 コチニン(Cotinine): ニコチンが主に肝臓で代謝されて生じる主要代謝物です。ニコチンよりも体内で安定しており、血中半減期が長いことから、喫煙・ニコチン曝露の指標としても利用されています。
※2 アンドロゲン: テストステロンやジヒドロテストステロンなどの男性ホルモンの総称です。前立腺がん細胞の増殖を促進する重要な因子です。
※3 アンドロゲン受容体(AR): アンドロゲンと結合して細胞内の遺伝子発現を調節するタンパク質です。前立腺がんの増殖に重要な役割を果たし、現在の前立腺がん治療における主要な標的の一つです。
※4 AR-V7: ARのスプライシングバリアントの一つで、通常のARとは異なりアンドロゲン結合部位を欠いています。アンドロゲンが少ない環境でも活性を維持でき、去勢抵抗性前立腺がんやAR標的治療への抵抗性との関連が知られています。
※5 HSP70: Heat Shock Protein 70の略で、細胞内でタンパク質の正しい折りたたみや安定性を維持する「分子シャペロン」と呼ばれるタンパク質です。
※6 去勢抵抗性前立腺がん(CRPC): アンドロゲンを低下させる治療を行っても進行する前立腺がんです。ARシグナルの再活性化やAR-V7など、さまざまな機構が治療抵抗性に関与しています。
※7 ユビキチン・プロテアソーム系: 細胞内で不要になったタンパク質にユビキチンという目印を付け、プロテアソームによって分解する仕組みです。細胞内のタンパク質量や品質を維持する重要な機構です。
論文情報
雑誌名:Archives of Biochemistry and Biophysics
論文タイトル:Cotinine enhances androgen receptor stability and promotes androgen-dependent proliferation in prostate cancer cells: An in vitro study
著者:Riri Hayashi, Yudai Kudo, Yuta Yoshino, Masaki Shiota, Naohiro Fujimoto, Akira Ikari, and Satoshi Endo
DOI: 10.1016/j.abb.2026.110976

