日本人が見れば、一瞬で「あの衣装だ」とわかる。
ところが、その“説明不要の前提”が共有されていない国へ届いた瞬間、同じ写真がまったく違う意味を持ってしまうことがある。
日本のロックバンドNovelbrightのボーカル、竹中雄大が経験した出来事は、急速に距離を縮めている日韓エンタメの難しさを象徴しているのかもしれない。
竹中は最近、滋賀県で行われた音楽イベント「イナズマロックフェス」で、T.M.Revolutionの代表曲『HOT LIMIT』を披露した。
その際に身につけたのが、原曲を歌う西川貴教本人から借りた“伝説の衣装”だった。『HOT LIMIT』のミュージックビデオで西川が着用したことで、日本では強烈なイメージとして定着しているものだ。
本人が述べている通り、竹中にとっては、西川へのリスペクトを込めたオマージュであり、日本の観客なら元ネタを理解し、おもしろがってくれるという発想だった。
ところが、その写真や映像をSNSに公開すると、一部の韓国ファンから驚きや批判的な反応が寄せられた。竹中によれば、フォロワーも短時間で大きく減ったという。
そのため本人はハングルでも長文を掲載し、日本でT.M.Revolutionが非常に有名な存在であること、この衣装にも元ネタがあること、西川への尊敬を込めて着用したことを説明することになった。

同じ衣装でも、“文脈”までは国境を越えない
そもそも竹中雄大は、歌の上手さを競う番組『日韓歌王戦』を通じて韓国での存在感を広げ、同国でも着実に存在感を広げているアーティストだ。
8月に韓国・高陽(コヤン)KINTEXで行われたアジアツアーコンサート「PYRAMID in SEOUL」では、MD商品の大半を早々に完売させており、10月にも韓国のフェスティバル出演を控えている。
興味深いのは、竹中が何か韓国向けに挑発的なことをしようとしたわけではないことだ。
日本の音楽フェスで、日本人アーティストの代表曲を、その本人から借りた衣装でカバーした。日本側の文脈だけを見れば、むしろわかりやすいリスペクトだろう。
それでも、一部の韓国ファンには違って映った。
理由は単純で、『HOT LIMIT』と西川貴教、そしてあの衣装の関係を知らなければ、そこに込められたオマージュやリスペクトまで読み取ることができないからだ。
つまり、衣装そのものは国境を越えたが、衣装に付随する文化的な文脈までは一緒に運ばれなかったといえるだろう。

もちろん、韓国ファン全体が拒絶したわけではない。FTISLANDのイ・ホンギやイ・ジェジンは笑いを交えたコメントで反応し、韓国ネットでも「驚いたけれど問題ない」「説明までしなければいけないのか」といった声があった。
だからこそ、これは「日本と韓国では感覚が違う」と単純化する話でもない。問題は、同じものを見ても、その背景を知っているかどうかで、受け取り方が大きく変わることにある。
言葉遣いや家族史でも起きた“文脈のズレ”
似たようなことは、衣装以外でも起きている。
俳優の佐藤健が韓国のYouTube番組に出演した際、年上の歌手カンナムに対してくだけた言葉遣いで接したことが、一部の韓国視聴者から「無礼ではないか」と受け止められたことがあった。
2人は年齢も近く、佐藤自身は距離を縮めるような雰囲気で会話していた。しかし、年齢や上下関係、初対面での言葉遣いがより強く意識される場面もある韓国では、同じ振る舞いが違う意味を持った。
日本側では「親しみ」として成立する振る舞いが、韓国側では「礼儀」の問題として見られたわけだ。竹中の場合が“視覚の文脈”なら、こちらは“言葉とマナーの文脈”の違いといえる。

さらに重い例もある。
8月、韓国バンドHYUKOHが約6年ぶりの新曲ミュージックビデオに女優の安藤サクラを起用したところ、一部で批判が起きた。
問題視されたのは安藤本人の言動ではなく、彼女が第29代内閣総理大臣・犬養毅のひ孫であるという家族背景だった。
さらに公開時期が韓国の光復節(8月15日)直後だったことも重なり、「なぜこのタイミングで安藤サクラなのか」と疑問視する声まで出た。
日本では普段ほとんど意識されない出演者の家族史が、韓国では歴史認識と結びつき、キャスティングへの評価にまで影響した形だ。

竹中の衣装、佐藤健の言葉遣い、安藤サクラの家族背景。問題の重さも性質もまったく違う。それでも共通しているのは、自国では説明する必要や意識すらしなかった前提が、国境を越えた瞬間に意味を失ったり、別の意味を与えられたりすることだ。
近づいたからこそ、誤解も増える
近年、日韓エンタメの距離は急速に縮まっている。
日本のドラマに韓国俳優が出演し、日本人タレントが韓国番組に登場する。K-POPとJ-POPのアーティストが同じステージに立ち、SNSでは双方のファンがリアルタイムで同じ投稿を見る。
交流が増えたこと自体は歓迎すべきことだろう。ただ、距離が縮まれば、これまで相手国には届かなかったものまで届く。
日本のフェスで着た衣装、ひとつの挨拶、出演者の背景まで、瞬時に相手国のファンの目に入る時代になった。だからといって、すべての誤解を避けるために、あらゆる文化的背景を事前に調べ尽くすことも現実的ではない。
重要なのは、誰かをすぐ「非常識」と決めつけることではなく、自分に見えている意味が、相手にも同じように見えているとは限らないと知ることなのかもしれない。
日韓エンタメは、「日本人が韓国で活動する」「韓国人が日本に出演する」だけで新鮮だった段階をすでに越えつつある。これから必要になるのは、作品や言葉だけでなく、その後ろにある“説明されない前提”まで互いに読み取ろうとすることだ。
距離が近くなったからこそ、違いまで鮮明に見える。日韓エンタメはいま、「互いを知っているつもり」の、その先へ進めるかを問われている。
■炎上した福士蒼汰の出演分を削除…日本国籍を放棄したカンナムに批判続く



