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【「エンジニア生活」・技術人 Vol.9】13年分の思い、「かぐや」とともに月軌道へ――JAXA・小川美奈氏
宇宙航空研究開発機構 宇宙輸送ミッション本部 総合追跡ネットワーク技術部 軌道力学チーム(併任)研究開発本部 軌道・航法グループ 主任開発員の小川美奈氏
「仕事のやりがいは何ですか?」という問いかけに対する答えは人さまざまだが、小川美奈氏の答えはきわめてシンプルだった。「好きだから、面白い」。そう答えてから「でも、こんなこと言ったら話が続かなくなっちゃいますね」と笑った。小川氏が勤めるのは宇宙航空研究開発機構。「JAXA(ジャクサ)」の略称で知られる独立行政法人だ。
宇宙航空研究、開発を行う日本で唯一の機関であるJAXAは、有人・無人のさまざまな宇宙事業計画を手がけている。H-IIBのようなロケットの開発、国際宇宙ステーション(ISS)における日本の実験棟「きぼう」の運用、さまざまな人工衛星の運用や開発など、日本の宇宙開発を一手に担う機関だ。
アポロ計画以来最大規模の本格的な月探査計画として世界中の注目を集めている月探査衛星機「かぐや(SELENE)」も、もちろんJAXAのプロジェクトだ。月の起源や進化の過程を解明するための調査がそのミッションだが、「かぐや」から送られてくるハイビジョン映像をP2P配信するなど、その探査活動の一端はネットワークを通して一般ユーザーにも公開されている。
かぐやがH-IIAロケットに乗って種子島から打ち上げられたのは昨年の2007年9月14日。その後、かぐやは地球を2周半して月へ向かい、月周回軌道へと入った。
文字にすればたった1行のかぐやの道のり。だが、正しい航路、予定どおりの月周回軌道へ入るためには、多くのスタッフが何度となく軌道の計算を行っている。宇宙輸送ミッション本部 総合追跡ネットワーク技術部 軌道力学チームに所属する小川氏(研究開発本部 軌道・航法グループ主任開発員を併任)の主な仕事は、「かぐや」をはじめとする人工衛星などの軌道を計算することだ。
■人の手で動いている人工衛星たち
地球の周りに浮かぶ人工衛星が飛躍的に増え、GPSや天気予報など、宇宙からのデータの恩恵を身近に感じるようになったとはいえ、一般の人々にとってまだまだ宇宙は遠い。宇宙を目指す計画は、やはり国家的プロジェクトだ。
それほどの大規模な計画であれば、当然、人工衛星の軌道などは、あらかじめコンピュータで計算され尽くされている。そんなイメージを抱きがちだが、人工衛星は、意外にも時々刻々と計算されながら飛んでいるのだという。
「打ち上げてからの軌道というのは、計算によって時々刻々とわかっていくものなのです。もちろんどこへ飛んでいくかわからないと困るので、打ち上げ前に、どこから打ち上げてどう飛ばすかという計画は立てます。でも、実際に打ち上げると、太陽の活動や地球の大気の影響、人工衛星自体の動作などによって微妙にずれていく。ですので、実際の位置を調べて、予定していた軌道に戻す必要があるんです」
大気などの条件以外にも、スペースデブリと呼ばれる宇宙ゴミの問題もある。
スペースシャトルやISSなどはもちろん打ち上げ前に計算に入れるが、宇宙に散らばる小さなゴミまでは、事前には把握しきることは難しい。そうした小さなゴミを避けていくのも軌道計算・軌道制御の仕事だ。
位置を求める作業も、思ったよりアナログな方法だ。まず地球のアンテナから衛星へ電波を送り、その電波が戻ってくるまでの時間を算出。この時間によって距離を求める。同時にドップラー効果を調べることで衛星の現在の速度を計算する。そうしたデータをいくつも採り、そのデータから衛星の現在位置やその後の予定航路を算出するのだという。
メートル単位、センチメートル単位で位置を知るためにはより多くのデータが必要となる。何時間もかけて複数のデータを採り、さらにそれを2〜3時間かけて計算する。
もちろん実際の計算はメーカーに委託している部分もあり、「毎日の仕事は普通のサラリーマンと同じですよ」と本人は笑う。だが、人工衛星などが打ち上がった直後のクリティカルフェイズと呼ばれる、人間でいえば新生児室に入っているような初動の時間は、チームやメーカー関係者などがシフトを組んで24時間態勢でその行方を見守る。実際の衛星の軌道を決定していくために、分単位で予定を組んで計算を繰り返すという。
「かぐや」が無事月の周回軌道に入るまでには、こうした気の遠くなるような作業が繰り返されていたのだ。
■毎回が基礎研究とチャレンジの繰り返し
気が遠くなる作業は、計算だけではない。プロジェクト自体も10年単位で計画されるものばかりだ。
「かぐや」も、“かぐや”としてのプロジェクト自体は10年程度だが、それ以前の電気推進での月への飛行実験構想から数えるとさらに長い時間をかけて練られた計画になる。こうした長期のプロジェクトになると、実際に実行に移されるまでに、関わっているスタッフの入れ替わりもある。技術の進歩による計画の変更もある。もちろん、プロジェクト自体の内容変更や追加提案も出てくる。
また、プロジェクトごとに新たな課題も持ち上がる。宇宙開発事業は毎回異なるミッションやチャレンジを掲げて始まる。そのため、新たな人工衛星の計画、探査計画が持ち上がるたびに、どういう方法で軌道制御を行うのが一番効率的かを、プロジェクトに合わせて考える必要がある。
精度が足りない、時間が足りない、新たな制約があるため使えないといった条件があるため、従来の方法が使えないケースも多々ある。
「『かぐや』と平行して計画が進み、先に打ちあがった陸域観測技術衛星『だいち(ALOS)』などの場合も、従来以上の精度で位置を求める必要がありました。メートル単位で位置を計るという要求に応えるためには、今までのように電波の往復時間とドップラー効果だけでは無理だったのです。そこで、高精度のGPSを載せたり、レーザーを使って計ったりという方法を考えていきました。でも、そういった技術は日本としてはそれまでにやったことがないため、基礎研究から始める必要があるんです」。
順延される計画もある。「かぐや」では当初、月への着陸実験も行われる予定だったが、技術的な難易度から「SELENE-2」へ引き継がれ、「かぐや」では行われないことになった。
「最初の提案をした人が誰もいなくなって、プロジェクトだけが進むなんてことも珍しくないのです(笑)」。
■旅行者として宇宙へ
このように長く関わるプロジェクトも多い宇宙開発事業だが、なかでも小川氏がもっとも長く関わったのが「かぐや」だ。入社の2年後、1994年から関わりはじめ、打ち上げまでに13年かかった。軌道制御、軌道計算を担当していて、もっとも嬉しいのは、人工衛星が予定どおりの軌道に入ったときだという。
「『かぐや』の場合なら、月の周回軌道にきちんと入ったときですね」と小川氏は振り返る。
月の周回軌道に入る瞬間は絶対にミスできない重要なポイントだ。正しいタイミングで正しい方向にエンジンを噴射しないと、月の周りをまわらずに、どこかへ飛んで行ってしまう。軌道制御の担当者として、もっとも緊張した一瞬だ。
アンテナから予定どおりのドップラー効果のデータが戻ってくる。その後、続けてかぐやに搭載されたカメラから、月面の一部が写り込んだ映像が届いた。
「ドップラーのデータが戻ってきたときも嬉しかったですが、やはりカメラの映像を見たときは別格でしたね。自分が担当していた人工衛星が、本当に月まで行って、月の周りを飛んでいるんだと思ったら、感動しました」。
立ち消えすることもあるプロジェクトのなかで、13年かけて、かぐやは月に届いた。13年分の苦労が報われた瞬間だ。
月並みだが、「やはり自分でも宇宙に行ってみたいですか?」という質問をしてみた。
「行ってみたいですね。宇宙飛行士(仕事)ではなく、宇宙旅行者(プライベート)として」。小川氏は笑ってそう答えた。
「宇宙飛行士が地球に帰還してからの報告会に行くと、どの宇宙飛行士も口を揃えて『地球はキレイだった』と言うんです。『雪が粉砂糖のように』とか、『クリームをコーヒーに入れてかき混ぜたような』とか、詩的な表現が口々に出てくるほどですから、きれいなんだろうなと思います。それをぜひ自分の目で確かめてみたいです。仕事ではなく(笑)」。
好きなことを職業にすることが常にベストとは限らないだろう。しかし、生き生きと宇宙を語る小川氏の顔を見ていると、天職というものは本当にあるのだと思わされる。
(小林聖@RBB 2008年6月7日 00:19)
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