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リンクを並べれば表現になるのか
2005年4月15日
前回に続いて、私のコラムについてブログなどでコメントしてくれている事例を見に行って感じたことなどを語りたい。いろいろな意味で興味深いのは、私のコラムを踏まえつつ、その人の持論を展開しているものだ。
もちろん中には、私の論旨に反対のものもある。私も批判はきちんと受け止めるつもりだが、はなから否定的な言葉で切り捨てられているだけの事例に出会うと、さすがにちょっと悲しくなる。しかも、そういう書き方の場合、私の文章を良く読んでいないか、もしくは誤読していると思われることが多いのだ。
逆のケースもある。基本的には論旨に賛同してくれているらしいのだが、私の論旨から外れて、その人の考えをとうとうと述べ続けているのだ。それ自体はまあ良い。しかし、たまに思い出したように「…ということを小笠原氏も言いたかったに違いない」などと書いてあると、思わず「いや、それは違うでしょ」と、内心で苦笑いしてしまうことがある。
何かに触発されて自分の思いを書く、というのは、良いことだと思う。これこれをキッカケとして自分が考えたこと、という一言を入れておいて欲しいとは思うが。誰もがそうやって、他人の考えに刺激され、その一部を取り込み、自分の思いと突き合わせる中で、自分ならではの考え方を形作っていくのだ。
だが、ちょっと気になっているのは、ネットの中で、他人の考えを切り貼りしただけで自分の考えを述べたつもりになっている人が増えているのではないかということだ。私のコラムに限らず、さまざまな文章へのリンクや引用をインデックスのように並べてはいても、それらを熟読し、自分の考えと比較検討している様子が、ほとんどうかがえないのだ。
あちこちから拾って来た断片を貼り付けただけで、それがその人自身の何かを表現したことになるのだろうか。リンク先の文章を読んで、あなた自身はどう思い、何を考えたのか。それこそが語るべきことではないのか。
■著者略歴
小笠原 陽介 (おがさわら ようすけ)
理系のココロを文系のコトバで語るフリーライター兼コラムニスト、時々ジャーナリスト。ITによる人間と社会の変容に問題関心を持ち、独特の視点から発言を続ける。
主な著書:『PC-98パワーアップ道場』1998,ソフトバンク
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