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空前のレーシングカーブーム |
『マッハGOGOGO』は、1967年4月に放映開始されていたのですが、この頃、我々テレビっ子の間では、怪獣と並んで、スポーツカーやレーシングカーなどのイカすクルマが流行っておりました。
1960年代は、まさにモータリゼーションの時代。
1962年には首都高速道路の一部が開通、さらに東名高速道路も建設開始。1964年の東京オリンピックから1970年の大阪万国博にかけて日本列島に道路網が配備されていきます。
景気も良好で「いざなぎ景気」と呼ばれた頃、高度経済成長期、大量消費時代を迎え、一般家庭でもマイカーを求めるようになっていました。事実、3C=Car(自動車)、Cooler(クーラー)、ColorTelevision(カラーテレビ)といわれ、夢の耐久消費財のひとつとされています。
これらの流れと並行するように、各地で自動車レースが盛んに行われておりました。
1964年の第2回日本グランプリでは、スカイライン2000GTが一瞬ではありますが舶来ポルシェ904を追い抜く、いわゆる「スカイライン神話」が生まれます。
1965年7月のカークラブ・チャンピオンシップでは、天才レーサー・浮谷東次郎が駆るトヨタスポーツ800が大活躍。
同年10月、海の向こうでは、ホンダのRA272(葉巻型の白いボディに日の丸)がF1メキシコグランプリで優勝しています。
そのほとんどは宣伝効果を狙う自動車メーカー同士の熾烈な攻防だったのですが、それゆえ、どのメーカーも本気でクルマ作りをしていたわけです。まさに世界に通用する国産車が次々に登場した時代だったのです。
これらレーシングカーは、テレビっ子にとって怪獣並みに強烈な個性を持ったキャラクターだったのです。
当然のことながら、オモチャ売り場に並ぶミニカーやプラモデルもレーシングカー花盛りです。さらに当時のテレビっ子にはとても手の出ない高価なラジコンカーなども棚の上段に陳列されておりました。
このような時代背景の中で登場したマッハ号は、実車以上の喝采を持って迎えられたわけです。
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不滅のマッハ号 |
盛り上がったレーシングカーブームだったのですが、1960年代末に排出ガス規制問題が巻き起こりました。この問題が後の環境破壊に尾を引くことになります。各自動車メーカーは当然のことながら、この対策に追われることとなり、日本グランプリどころではなくなってしまいます。さらに1973年のオイルショックがこれに追い討ちをかける形となり、ブームは終焉を迎えるのでした。
と言いつつも、2、3年しないうちにスーパーカーブームと、6輪タイレル(ティレル)に代表されるF1ブームが来てしまうのですが……。
肝心のマッハ号はというと、アメリカに輸出され、“Speed Racer”のタイトルで放映され人気を博しました。その人気は根強いもので今まで幾度か実写映画化の噂も飛び出たぐらいであります。
そして、今年40周年を迎える『マッハGOGOGO』ですが、ついにハリウッドで今度こそ映画化らしいですね。
監督は『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟! 新年特集でも申しましたが、オープニングの最後、マッハ号から飛び降りた剛がストップモーションのまま、グルリとカメラが回り込むシーン! ウォシャウスキーさん! ぜひ、お願いしますよ!
■著者紹介
木川明彦(きかわあきひこ)
1963年、千葉県出身。成城大学文芸学部卒業後、アニメ、特撮、SF、ゲーム系に関する雑誌・書籍を多数企画・編集。また、映像作品の設定考証や小説なども手がける。近著に『無敵万能ゼロ艦隊』(銀河出版)がある。最近は活動の舞台をWebの世界にも展開。Web Magazine「TORNADO BASE」で「エモーション魂」を連載中。
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