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紙の百科事典とともに滅ぶもの
2006年11月29日
パソコンやネットの普及は、従来紙で出版されていたいろいろなものを滅ぼそうとしている。もちろん、多くのものは絶滅までに至らないのだが、絶滅危惧種に追いやったことは間違いない。その典型的なものの一つは百科事典だろう。かつて高度経済成長の時代には、数十に及ぶ分冊から成る百科事典が一般家庭に普及し、応接間の飾りとして威容を誇ったものだった。もちろん今も図書館にはあるだろうが、少なくとも「紙の」百科事典を個人で所蔵する人は少なくなっているだろう。
私の家にも、かつて百科事典があった。正確に言えば、今も実家で本棚の肥やしになっている。ただ私が幸運だったと思うのは、応接間などというぜいたくな空間がなかったために、我が家においては百科事典が子ども部屋の書棚に置かれたことだった。加えて私の父は、新聞やテレビなどの話題からネタを拾っては、子ども時代の姉と私に「あれはどういう意味か」とか「これはどうしてこうなっているのか」などと議論を吹っかけ、うまく答えられないと「分からないなら調べて来い」とけしかけるのが好きだった。そうして私が日常的に百科事典と格闘し、子どもなりにそれを使う習慣を身に付けられたことを考えると、おそらくは置き場所も含めて、親の教育的配慮があったのだろうと、今にして思う。
分厚く重い紙の事典を何冊も引っ張り出して、ページを繰る作業に意味があるとは思わない。ディスクメディアやネット経由で手軽に検索できる、デジタル化された事典の方が、はるかに便利で、効率的だ。ただ私は、その一方で失われているものが気になる。知りたい情報を、何の記事項目に求めるべきか。意図した単語が項目になっていない場合はどうするか。デジタル化された事典なら全文検索であっさり見つけられるだろうが、紙の事典ではそこで、自分の求める知識への目的意識を鮮鋭化する必要があった。実はそれは、知的活動の重要な第一歩だったのではないか。
■著者略歴
小笠原 陽介 (おがさわら ようすけ)
理系のココロを文系のコトバで語るフリーライター兼コラムニスト、時々ジャーナリスト。ITによる人間と社会の変容に問題関心を持ち、独特の視点から発言を続ける。
主な著書:『PC-98パワーアップ道場』1998,ソフトバンク
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