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メールのやり取りをいつ打ち切るか
2006年7月25日
パソコン通信時代から長年、電子メールを使い続けて来ながら、未だに自分でも不慣れだと思い、日常的にしばしば迷ってしまうことがある。それは「いつ、どのタイミングでメールのやり取りを打ち切るか」という点だ。
これがどうして難しいかというと、一般にメールというものは「儀礼的な挨拶」と「用件の本体」とを混在させてやり取りされるものだからだ。とりわけ儀礼的な挨拶の部分では、相手と自分との関係性、平たく言えば相手が目上かどうかといった観点も絡んで来る。
今はもう言われなくなっているのかも知れないけれども、私が子どもの頃には、外の人からかかって来た電話に対しては、それが無差別の勧誘電話のようなものでない限り、先に切るのは失礼にあたる、と教えられたものだった。そういうわけで私は、三つ子の魂百までではないけれども、電話をめぐる環境が大きく変わった今でも、相手が切るのを待ってから自分が切る習慣が身に染み付いている。
それと同じように、電子メールのやり取りが続いた場合にも、自分の方から話を打ち切るのが苦手なのだ。つまり、自分が出したメールを最後に、相手からの返事が来ない、という状態で終わるのが、私としては落ち着く。相手が目上の人の場合は、特にそうだ。だが一方、用事の本体部分が終わっているのに、そういう儀礼的なプロトコルを消化するためにだけ、無駄なメールを相手に送るのも、それはそれで失礼ではないかという気もする。
実際問題としては、ごく常識的な対応として、用件の本体部分が終わったと思える時点で、私から話を打ち切ることも少なくない。何となく落ち着かない気分が残ることはあるが、もし相手も同じように考えていたら「ではまたよろしく」「いえこちらこそ」といった中身のない応酬だけが延々と続きかねない。
ところがここに、メールの「到着確認」ないし「開封確認」という要素が絡んで来ると、さらに話はややこしくなる。続きは次回に。
■著者略歴
小笠原 陽介 (おがさわら ようすけ)
理系のココロを文系のコトバで語るフリーライター兼コラムニスト、時々ジャーナリスト。ITによる人間と社会の変容に問題関心を持ち、独特の視点から発言を続ける。
主な著書:『PC-98パワーアップ道場』1998,ソフトバンク
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