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眼鏡がないと困るように
2006年3月20日
私は度の強い近視で、裸眼での視力は左右とも0.05程度しかない。このくらいの近視だと、眼鏡をかけていない状態では飲食店で同じテーブルの向かいに座っている人が誰だか分からないし、足元の階段がどこから始まるか、勘で足を踏み出さなければならなくなる。そんなわけで11歳の時にかけ始めた眼鏡は、それから四半世紀以上を経た今、私にとってはもはや身体の一部と言っても過言ではない。裸眼では怖くて屋外を歩けないし、それどころか室内での日常生活にさえ支障を来たす。
それと同じように、今や若い人を中心とした少なからぬ人にとって、携帯電話というものが、なくてはならない存在になっている。たとえば、携帯電話を忘れたからと言って、学校や会社に遅刻するのを承知の上で取りに戻るといった話を聞いて、珍奇に感じる人は多いだろう。あるいは、携帯電話を落としたり、水没させてしまったりした人が、傍目にそれと分かるほど動揺しているのを、過剰反応だと思ったこともあるのではないだろうか。だが、そうした人たちにとって携帯電話は、それだけ切実に必要な道具ということなのだ。
携帯電話が眼鏡のようなもの、という比喩には、2つの意味がある。1つはそれらの道具が、私たちが世界を認識するために不可欠なツールであるということだ。外界に対して、私たちの身体に備わっている知覚機能だけでは不足する部分を、道具によって補っている。それなしには外界を十分に認識できず、不便なばかりか、場合によっては危険でさえある。
もう1つの側面は、そのような「感覚の補助具」としての利用者にとっては、その道具が身体の一部のようになっていくということだ。眼鏡も、かけ慣れない人にとっては違和感を覚えるだけの邪魔なものだろう。まして携帯電話など、必要悪でこそあれ、多用したくない厄介なものと感じるのではないか。しかしヘビーユーザーには、その存在は自身と不可分で意識されない透明なものになるのだ。
■著者略歴
小笠原 陽介 (おがさわら ようすけ)
理系のココロを文系のコトバで語るフリーライター兼コラムニスト、時々ジャーナリスト。ITによる人間と社会の変容に問題関心を持ち、独特の視点から発言を続ける。
主な著書:『PC-98パワーアップ道場』1998,ソフトバンク
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