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移ろいゆくネットの常識(中)
2005年10月28日
ネチケット、という言葉が嫌いだった。偽悪ぶっていたつもりはないが、他人にマナーやエチケットを説く押しつけがましさが嫌だった。そんなことを言わなくても個々人の良識に任せておけば良いじゃないか、人を馬鹿にするな、と思っていた。正直に言えば、本当は今でも好きではない。しかし最近では、その良識を期待できなくなって来つつある。
公園に何本かの桜の木があったとしよう。春には見事な花を咲かせ、訪れる人たちの目を楽しませてくれる。公園には柵もなく、幹の近くから見上げる満開の桜は絶景だった。もちろんその下で花見の宴を張る人たちもいたが、皆が譲り合って楽しく過ごしていた。
ところがある時、見知らぬ人たちがやって来て、行儀の悪い宴会を始める。それまでそこにいた人たちの黙約を無視して、広い場所を占有して高歌放吟、あたりの草花も踏み散らかす。誰かがやんわりと「迷惑ですよ、お控えなさい」と言っても「そんな決まりがどこにある」「あんたに言われる筋合いはない」「だめなら公園管理者が柵でも作れ」と開き直るありさまだ。こうした言い分に反論したところで、当然ながら噛み合うはずもない。
こうしたことが続けば、いずれ公園に柵が作られ、決まりきった細い通路しか歩けなくなるだろう。桜の木の根本から見上げる、空を埋め尽くすかのような眺めも楽しめなくなる。もちろん花見の宴も禁止となるだろう。ごく一部の身勝手で場を弁えない人たちのせいで、どれだけの人が迷惑を被ることか。彼ら自身も一時の享楽の代償に、次にはその場所を楽しめなくなることに、どうして気がつかないのだろう。そうなったら別のどこかに行けば良いだけだと思っているのだろうか。
善意に期待して善意を提供する「お人好し」な社会では、利己的に抜け駆けする者が短期的には必ず勝つ。だがそれは公共の豊かさを収奪する行為であり、結局は社会そのものを殺伐とした、貧しいものにしていくのだ。
■著者略歴
小笠原 陽介 (おがさわら ようすけ)
理系のココロを文系のコトバで語るフリーライター兼コラムニスト、時々ジャーナリスト。ITによる人間と社会の変容に問題関心を持ち、独特の視点から発言を続ける。
主な著書:『PC-98パワーアップ道場』1998,ソフトバンク
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