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もし本当だとしたら、の危うさ
2005年10月7日
ネットで書かれている情報のすべてが事実ではない、ということは、さすがにネットを利用する人すべての常識になっていると思うのだが、ではその「必ずしも真実であるとは限らない情報」に対してどう振る舞うか、ということについて、私たちはもうちょっと考えるべきなのではないかと思うことがある。
ネットのどこかで、何かびっくりするような情報を見つければ、誰もがそれに驚いたことや、それによって掻き立てられた思いなどを誰かに伝えたくなるものだろう。その情報を引用したりリンクしたりしつつ、コメントするだろう。掲示板などであれば、その場で何事かを書き込むかも知れない。そうしたことはごく自然な感情であり、行動だと思う。
その情報ソースが確実に事実であると信頼できるものでなかった場合は、当然そのことに断りを入れる。その上で「しかし、もし本当だとしたら」という前置きを置いて感想などを述べるだろう。それは正しいやり方だ。
ただ、そこで私が気になるのは、その「もし本当だとしたら」を言う時には、実は半ば以上、その情報を受け入れてしまっているのではないか、という点だ。一応の留保は置きながらも、意識下では事実である可能性が高いと感じているからこそ、驚いたり怒ったりという感情が生じ、それを誰かに伝え、共感して欲しいのではないだろうか。もしそうであるとすれば、前提としての「もし本当だとしたら」は、むしろ免罪符となってそうした感情の増幅と伝播を許容し、流言蜚語を生み出しやすい状況を作る一助になりはしないか。
だから仮定の話は書くべきではない、ということではない。私自身、そういう仮定に基づく話を書くこともある。誰かを責めたいわけでもない。それぞれの発言はごく正当だ。しかしそれでも、この言葉が発せられる際の発話者の心理について注意を向け、対外的影響について考え、そして自らの発話について自覚的であることは無駄ではないと考える。
■著者略歴
小笠原 陽介 (おがさわら ようすけ)
理系のココロを文系のコトバで語るフリーライター兼コラムニスト、時々ジャーナリスト。ITによる人間と社会の変容に問題関心を持ち、独特の視点から発言を続ける。
主な著書:『PC-98パワーアップ道場』1998,ソフトバンク
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