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本歌取りと盗作は地続きだが遠い
2005年6月7日
少し前、ネットであちこちを回っていたら、ある新人バンドがCD発売を予定している曲が、有名シンガーソングライターの良く知られた名曲に非常に似ている、という話を読んだ。その曲はネットで試聴できるというので聴いてみたら、確かに思わず笑ってしまうくらい似ていた。結局その曲はそのまま発売されたのだそうで、ネット上では盗作だ、実質的にカバーだと騒ぎになっているようだ。
オリジナリティを定義することは非常に難しい。私としては、現代の人間の表現に、完全な意味でのオリジナルはあり得ないと思っている。文化というものが過去の蓄積の上に立っており、また人間が「良い」と感じるものにある程度の規則性がある以上、部分的な模倣や引用、またそのつもりはなかったとしても類似や部分的な一致はあって当然なのだ。
ましてや、日本には「本歌取り」という伝統すらあって、過去の良く知られた秀作を想起させる象徴的な字句を引用することで歌の世界を広げることはテクニックの一つであると、800年前から認知されているほどだ。
だがそれにしても、程度問題というのがある。作品が全体としてあまりにも似過ぎていれば、やっぱりアウトだ。どういうつもりであったとしても、これは結果から判断せざるを得ない。そしてまた、盗作とまでは言えなくとも、そうした部分的な模倣や引用を繋ぎ合わせただけで、そこに何らかのオリジナリティ、その人ならではの創造性を付加できていないとすれば、それはやっぱり文化として価値がない作品であると言わざるを得ない。
前述の新人バンドの楽曲について言えば、話題性を狙った作為かと思うほど似ている。仮に若い作者が過去の曲を知らなくとも、周囲の業界人が全員知らない、気付かないことはあり得まい。もし予め過去の名作に敬意を表し、自分たちなりにリメイクしてみた作品だと言っていれば、それなりにおもしろい試みと思えるだけに、もったいない気がした。
■著者略歴
小笠原 陽介 (おがさわら ようすけ)
理系のココロを文系のコトバで語るフリーライター兼コラムニスト、時々ジャーナリスト。ITによる人間と社会の変容に問題関心を持ち、独特の視点から発言を続ける。
主な著書:『PC-98パワーアップ道場』1998,ソフトバンク
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