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■  Epic Mega Games時代から培われたチームワーク

中村:まず、最初にどのような経緯でゲーム開発に携わったのか教えてください。

ティム:最初は一人で始めたんです。PC用シェアウェアのゲーム開発ですね。親と同居しながらのゲーム開発です。共同作業も遠距離で行っていました。

中村:Epicという会社の名前の由来はどのようなものでしょう?

ティム:もともと会社としてはほんとに小規模だったから、人を集めるにはビックで、ちゃんとした会社に見える雰囲気の名前を探したんです。結果が『Epic Mega Games』。かなりビックな感じでしょう(笑)。いまは、Megaという言葉をとって、Epicにしてるんですけど。


中村:当時は日本のコンソール機用ゲームなどが流行していましたが、どのように感じていましたか?

ティム:やはり自分も『ソニック』や『スーパーマリオ』をプレイして感心してました。非常に広大な環境でゲームをプレイできるということが凄かったんです。ただ、残念だったのはゲームそのものが閉じたな世界だったということです。つまり、1つのステージを終わらせないと次のステージにいけないといったこと、最初から自分が大好きなステージをすぐに遊べないなどがそうでした。その点については、PCゲームは非常にオープンです。『Unreal Tournament』シリーズをプレイしていただければわかりますが、ゲームステージはゲーム開始時から、プレイヤーの好みのステージを自由に選べます。

中村:Epicにとっての転機はいつごろですか?

ティム:クリフ・ブリジンスキー(『Gears of War』のデザインリード)がゲームデザイナーとしてプロジェクト(アクションゲーム『Jazz Jackrabbit』)でかかわるようになり、ジェームズ・シュマルツ(James Schmalz、デジタルエキストリーム創設者)が『Epic Pinball』を開発していたころですね。特に『Epic Pinball』は数百万ドルの売り上げだったんです。本数にして20〜30万本ですね。でも僕たちはここで得た資金を個人的な理由で引き出すことなんてありませんでした。このゲームが実施的に『Unreal』ゲーム開発の資金源になったと言ってもいいぐらいです。だから当時、僕自身はまだ両親と同居していたし、運転していた車もボロボロだったんですよ!

中村:ただ当時は、すでに『Wolfenstein 3D』や『Doom』をはじめFPSが次々とヒットし、競争が激しくなっていましたよね。

ティム:
そうですね。だけどあらためて見ると、『Wolfenstein 3D』は、本当に表現が限られていたし、『Doom』も2.5Dでした。機能としては見上げることすらできませんでしたしね。だから、『Unreal』ではサーフィスモデルや、ライティング、シャドウイングと言った処理は是非したかったんですよ。ですので『Unreal』の最初のシーンは敢えて一般的なFPSのような屋内シーンを取り入れたんです。

中村:冒頭の宇宙船でのシーンですね。

ティム:そう。平凡なシーンですね。小さく狭苦しい通路の。これはあえて、ユーザに「なんだ、普通のFPSと変わらないじゃないか」って、思い込ませたかったんです。でも5分ぐらいすると船内から外にでる。すると広大な陸地が広がるという演出をしました。滝が流れ、遠方では鳥が飛んでいる。当時はオープン環境をサポートしている3Dゲームはありませんでした。カラーライティングも。だから狭苦しい空間から広大な世界に飛び出すという感じを強調したかったんです。

中村:あれは本当にすごかったです。当時はゲーム用3DAPIがあまり確立されていなくて。Glideが主流だったんですよね。DirectX3Dはほとんど立ち上がっていなかった。

ティム:Glideもそうだけど、僕が強調したかったのはソフトウェアレンダラーなんです。あらためて考えると『Unreal』がゲームソフトで、ソフトウェアレンダラーを採用した最後の作品だったと思います。後はハードウェア(3Dグラフィックアクセラレータボード)に頼ることを前提にして作品が開発されたと思います。ただし、ソフトウェアレンダラーの導入を決めた私たちはパフォーマンスをかなり犠牲にしなければならなかった。でもゲームとしてはそのおかげでいいゲームを出荷できたと思っています。この段階で、すでにゲームのアートワークやゲーム全般をジェームズが、レベルデザインをクリフが、ゲームエンジンを私が担当するという形で確立していました。だから、すぐれたゲームを天才がひとりで開発するっていうスタイルとはすでに違っていましたね。

中村:このときからすでにチームワークを重視していたわけですね。

ティム:シェアウェア時代からですのでほとんど最初からそうでしたね。アーティスト、ゲームデザイナー、プログラマーと役割を分担してたんです。だからそれぞれの分野において各人員がしっかりと権限をもっていました。私自身はあくまでもチームのメンバーでプロジェクトそのものをチームで達成するというビジョンが強かったです。『Unreal』時は20人近くのひとたちがあつまって開発していました。私たち3人を中心に6人のアーティスト、7人のレベルデザイナー、そして3-4人のプログラマーで開発したんです。『Unreal』の開発がはじまってからはさすがに遠距離で開発というわけにはいかなかったので、まずはトロントに開発スタジオを構えたんですが、とにかく寒くて(笑)。開発が終わった後は米国の様々な地域を考えたんですが、結局、気候と物価の安さ、すぐれた研究機関が隣接する地域(リサーチトライアングルパーク)が存在することを考えて、ノースキャロライナ州に移りました。

(※補:『Unreal』はEpicとジェームスシュマルツの創設したデジタルエキストリームとの共同開発だったが、『Unreal』開発が佳境を迎えた際、デジタルエキストリームのチームとのより円滑なコミュニケーションを進めるために、Epicチーム全員をトロントにほど近いオンタリオ州ウォータールーにあるデジタルエキストリームのオフィス近くに引っ越させた経緯がある。ちなみにデジタルエキストリームはその後もEpicとのコラボレーションのもと、『Unreal Tournament 2004』まで数多くのゲームを開発した)

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