主婦から社長に転身!ウーマン・オブ・ザ・イヤー受賞のダイヤ精機・諏訪社長 | RBB TODAY
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主婦から社長に転身!ウーマン・オブ・ザ・イヤー受賞のダイヤ精機・諏訪社長

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ダイヤ精機のホームページ
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  • ダイヤ精機 代表取締役 諏訪貴子氏
  • マックのバイトからゲージ職人になった子もいます。
  • 諏訪氏の著書
――前回は諏訪氏のエンジニア時代と主婦業をこなしながらの父親の会社とのかかわりについて述べた。2回目はダイヤ精機社長就任後の話となる。

■2代目社長として生き残りをかけて3年計画を実行し、業績がV字回復
 2004年に諏訪氏の父親が急逝した。さまざまな葛藤のなかで諏訪氏は腹を括り、ダイヤ精機の2代目社長に就任したのだ。しかし経営については右も左も分からない素人だったという。そのような状況で、まず同氏はダイヤ精機の生き残りをかけて3年計画を練った。1年目は「意識改革の年」、2年目は「チャレンジの年」、3年目は「維持・継続・発展」を目標に掲げた。

 「社長になった当時は、本当にいろいろなことを試しました。ほとんどが私より年上の方ばかり。やはり社員の距離を縮めることが大変です。礼儀として敬語を使わなければいけませんが、どうしても冷たい感じになってしまいます。そこで今日は大阪弁を話す日、明日は京都弁の日というように、ゲーム感覚で皆さんに話しかけていきました。それから私もブランクがありましたので、分からないことは知ったかぶりせず、ちゃんと相手に教えていただくというスタンスを取りました」(諏訪氏)。

 1年目の「意識改革の年」では、基盤強化のための教育や組織改造に力を注いだ。また製品の品目も見直していった。ゲージ類はダイヤ精機の看板製品だった。とはいえ超精密な加工が必要であるがゆえに、リスクも大きかった。2004年頃からは、価格競争でゲージもコストを引き下げなければならず、ほとんどの企業が手を引いてしまったという。しかし同社は、売上比率を2割までに留めつつも、技術を継承していった。父上が苦労して続けてきた本流の製品を捨てたくなかったのだ。そして、これが後に功を奏することになった。

 リーマンショック後に、同社に神風が吹き、業績がV字カーブを描いて回復していったのだ。その神風とは、取引先の大手自動車メーカーがグローバル展開を強化し、海外工場で新しいラインを立ち上げることになったのだ。もちろんダイヤ精機にような超精密な技術を持つ企業は海外にほとんどない。そこで急激にゲージや治具の需要が伸びたことが大きな理由だった。

■将来を見据えた若返り戦術。逆ピラミッド型の年齢構成がピラミッド構成に
 このように社長就任時に、まさに神風が吹いてくれたのだが、諏訪氏はその状況に甘んじることはなかった。

 「この時期に、過去の自動車業界の動向を分析し、再び不景気が来ることを予想していました。そこで、たとえバブル崩壊のような厳しい時期が来ても、社員を辞めさせないで3年間は会社が存続できるような体力をつくろうと考えました。実際に2008年からのリーマンショックでは大赤字を出しましたが、その体力の温存があったため、なんとかギリギリで危機を乗り越えられました。あと3か月赤字が続いたら、会社の解散も覚悟し、ゼロから出発しようと考えました」(諏訪氏)。

 リーマンショックのときは、社員が出社しても、まったく仕事がない状態。これはどこの中小企業でも同じだかもしれない。そこで諏訪氏は落ち込まずに、「仕事がないときにしかできないことをやろうと決めました。空倉庫をバレエスタジオに改修したり、フットサルチームをつくって社員の結束を固めたりしました」と状況を前向きに捉えたそうだ。

 ようやく現在はアベノミクスの効果で少し業績も上向いてきたが、まだ数字的にはリーマンショック以前に戻っていないという。諏訪氏は「生産品目も変化しています。せっかく仕事のご依頼があっても、引き受けられないこともあるため、生産体制の構築を急がなければなりません。リーマンショックでも看板製品として残していたゲージが、我々を救ってくれました。いまはゲージの受注も増えているため、また生産設備を増強して注力していきたい。ここが勝負の時だと考えています」と厳しい経営者の顔をのぞかせる。



 ゲージに関しては人材がすべてだ。同社ではベテラン社員の優れた技術を後世に残すべく、新たな取り組みも始めている。「2007年から若手の育成に力を入れたため、かつて逆ピラミッド型だった年齢構成が、きれいなピラミッド構成に変わりました。いま20代と30代がゲージを製作してますが、それでもお客様の評価は落ちていません。こういった若い世代の将来性を見て、新規にお取引きしてくださるお客様もおります」(諏訪氏)。

 これらの地道な取り組みや事業立て直しの功績が評価され、2012年には、諏訪氏がウーマン・オブ・ザ・イヤーの大賞に選ばれている。このアワードは日経WOMANがその年に活躍した各界の女性を表彰するもので、数ある部門賞の中で大賞に選ばれるのは1名であり、最も功績が高かった女性が選ばれる栄誉ある賞だ。

 諏訪氏本人は、大賞受賞について、まず「私でいいの?」と思ったという。そして、受賞の感想を次のようにも話す。

「受賞によって変わったのは、後援会の依頼が増え、多くの女性と話す機会が増えたことです。また、念願の本を出版することもでき親孝行ができたと思っています」

■未経験者からのスタート! ダイヤ精機流の人材育成
 実は、筆者も話を訊いて、かなり驚かされたのだが、いまダイヤ精機でマスターゲージをつくっている若手社員は未経験者から育成してきたのだという。工業高校でも専門学校でもない。本当に業界も異なるところから転職してきた、まったく知識のない人材なのだ。「3年前には、実験的にサービス業の経験者のみの採用も実施しました。そのなかには、マクドナルドや、無印良品、ホームセンターなどの販売員もいました。機械のことよりも、ヒューマンスキルが高い人のほうが、本当は成長も早いのです」(諏訪氏)。

 こうした人材の採用は大変ユニークだが、さらに人材の育成方法もユニークだ。まず新入社員には、メンター役として身の周りや会社の習慣などを気軽に聞けるような「若手生活相談係」をつける。入社後1週間は、座学として会社のルールや社会常識などを教え、その後3か月かけて、旋盤、フライス盤、研磨機、切削盤など、工場内の機械の使い方をひと通り覚えさせる。そして、まさに諏訪流ともいえる手法の骨頂が「交換日記」だ。

 これは機械類を扱い始めてから1か月にわたり、諏訪氏との間で続けるものだ。いわば大企業の業務日報のようなものなのだが、フリースタイルで、書き方も本人の自由。内容も、その日に気付いたことなど何でもよいという。諏訪氏は「交換日記をすることで、新入社員の性格や能力をみることができます。彼らの持つ能力を最大限に引き出せるような適材適所の仕事を見極めるために行っているものです」と説明する。

 たとえば、ある社員は先輩の話を基にポイントを抜き出す。また、ある社員は1日の出来事を隙間なく日記に書いて報告する。「ポイントを抜き出せることは、それだけで1つの能力です。細かい神経の持ち主ならば、切削や研磨に向いているかもしれません。失敗に対して理由を追求し、対策を打てる社員ならば検査に向いているでしょう」(諏訪氏)。このように人の性格をみながら、どういう職人になっていくのか、個人に合わせたカスタマイズ教育を実施してきたのだ。

 こういったきめ細やかな教育は、やはり中小企業でなければできないことだろう。大企業のように社員が多くなると、一括で研修を受けて、あとはOJTで終り、というところも少なくない。そういう意味では、ダイヤ精機のような少数精鋭の集団ならではの教育方法ともいえる。大企業の中途採用では、手塩にかけて一から未経験者を育てるよりも、即戦力ですぐに使える人材を取りたがる。未経験であれば、そのぶん育成のコストもかかるから当たり前といえば当たり前のことだ。

 しかしダイヤ精機では、モノづくりに興味をもった未経験者を一から育成しようとしている。そして、これは取りも直さず、まず人材が中心にあるという考え方に基づいているものだ。諏訪氏によれば、未経験者の職人を育てるノウハウは、この取材だけでは語りつくせないぐらいの内容だという。「いろいろな講演をしてきましたが、やはり皆さんが一番知りたいところだと思います。このノウハウはプログラムとして体系化しています。それこそ1冊の本になるぐらい。この話は新しい本が出たときにお知らせできるでしょう」(諏訪氏)。

 これから日本は少子高齢化を迎え、優れた技術をいかに伝承していうかという課題も残っている。我々の先端技術を支えているのは、一芸に秀でた技術を持つ数多くの中小企業なのだ。ダイヤ精機のようなモデルケースには、モノづくり大国・日本を再生して復活させる大いなるヒントが隠されているようだ(了)。

~地元から日本を盛り上げるキーパーソン~普通の主婦から社長に――ダイヤ精機の改革と人材育成の極意に学ぶ(2)

《井上猛雄》
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